読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

アンリ・トロワイヤ「仮面の商人」

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 これもタイトルから、まったく内容の予測のつかない物語である。大雑把にいえば、本書で描かれるのは史実の信憑性だ。実際に起こったことと、どうしてそうなったのかという事実があって、それを掘り起こして語る場合、いったいどこまで真実に近づけるのか?という話なのである。

 

 当初、ぼくなんかトロワイヤといえば、史伝の作家だと思い込んでいた。ロシアの歴史を語る上ではずせない人物や、文豪などの史伝評伝ばかり書いている作家だと思い込んでいた。事実ぼくが一番最初に読んだ彼の本は「イヴァン雷帝」だった。それ以前に彼の小説も何冊か翻訳されていたみたいだがその当時には書店から姿を消していたのだ。かろうじて、河出文庫で「ふらんす怪談」が残っていたくらいだろうか。

 

 2004年に草思社から彼の小説が三冊刊行され、そのうちの二冊を読んだ時点でぼくの認識は改まった。トロワイヤはフィクションでも素晴らしい作品を残しているんだと。

 

 で、本書なのである。本書は三部構成になっていて、第一部でヴァランタン・サラゴスという新人作家の日常が三人称で描かれる。彼は役所に勤めながら小説を書きすすめているのだが、どうやったら自分の信じる文学の道筋が世間に認められるのかと日々悩んでいる。しかしそんな彼にも理解者はいて、彼はそれを糧になんとか小説を書いている。ま、いってみればうだつの上がらない日々なのだ。そして第一部が終わり、第二部ではサラゴスの甥アドリアンが登場して、彼の一人称で話がすすめられてゆく。その時代ヴァランタン・サラゴスはもう亡くなっているのだが、彼の評価は上がっており人気作家となっている。アドリアンは偉大な作家であるサラゴスの評伝を書こうと思い立ち、サラゴスゆかりの人々を訪ねインタヴューをしてゆく。

 

 さて、そこで読者は一部で登場した人物たちの証言をアドリアンと一緒にきいてゆくことになるのだがそこには実際に起こった事との乖離がみられる。読者はそのことに気づくのだが、もちろんアドリアンは気づくわけもなく、その証言をもとにサラゴスの人物像を組み立て、その足跡を固めながら再構築してゆく。ああ、そこは違うんだよ。実際はそういうことじゃなかったんだ。この人の証言は自分に良いように変えられているんだよ。読者はやきもきしながらアドリアンの仕事を追うことになる。

 

 だいたい後についてきた栄光などはそれを取り巻く人々にとって、願ってもない自分の存在理由になるものなのだ。この場合、サラゴスを取り巻く人々が実際に彼と接していた時代、サラゴスは無名の存在だった。いってみれば自分と同等の人間だったのだ。それが時代を経て世間の評価が変わり、大作家となった。サラゴスに関わった人にとってみれば、それは栄光のお裾分けなのである。そんな凄い人物と知り合いだった自分をもっと知ってもらいたい。自分が彼に対してどういう役割を担ったのか、どういう影響を与えたのか、また彼のこんな素顔を知っている、彼とこんな時間を過ごした等々。そう、後付けの栄光は人をたらしこむ。そしてそれに伴い過去の記憶は都合よく改竄され、より栄光に近づこうとする。これは必然であり、大なり小なりそれに似た経験はぼくたちにもあるのではないか?美化するわけではないが、自分しか知らない事実や、そう思っている事に関して人は記憶を変える傾向にあるのではないだろうか。

 

 そして第三部。ここでアドリアンは一つの選択をせまられる。いったい彼はどの道を選んだのか?これはもちろん読んで確かめてもらいたいが、トロワイヤもこんな話を書いちゃって、ほんと人が悪い。彼が史伝、評伝を得意とする作家だからこそ本書のおもしろさも特別の感慨をもって伝わってくるのだ。

 

 というわけで、ぼくはトロワイヤを畏怖するのである。彼の小説をもっと読みたい。どこかの出版社がもう絶版になっている本を再刊してくれないものだろうか。「蜘蛛」とか「喪の銀嶺」とか「エグルティエール家の人びと」とかね。この人はもっともっと読まれるべき作家なのだからね。