読書の愉楽

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梶よう子「ふくろう」

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 はじまりはとてもミステリアスだ。主人公 伴鍋次郎が妻の八千代を連れて安産のご利益のある赤羽の水天宮に詣でようとしている。鍋次郎は近々西丸書院番士として出仕することが決まっていた。西丸とは将軍世嗣の住まいで書院番とはいわゆる警備員だ。まもなく生まれる子、そしてようやく叶ったお勤め。だが順風満帆ともいうべき人生の幸せを謳歌する鍋次郎は一人の老齢の武士と遭遇する。たまたま寄った茶店で近くに座った武士が去り際に足をもつれさせ、咄嗟に鍋次郎が腕を差し延べ支えてやったのだ。礼を言う武士は鍋次郎の顔を見るなり蒼白になり、幽鬼に出くわしたかのような恐怖を浮かべ、必死に許しを請うた。鍋次郎はその武士とは初見である。なんとも奇妙で後味の悪い出来事だ。その後、再びその老武士と橋の上で遭遇するのだが、今度は鍋次郎の顔を認めるなり橋から飛び降りてしまう。いったいどういうことなのだ?老武士は自分の顔を見て誰と勘違いしてるのか。疑念は深まるばかり。そうこうしているうちに今度は八千代が家の納戸で荷物を崩してしまったので片付けを手伝って欲しいというので整理していると、若い頃の父の日記が出てきた。誘惑にかられて読んでみると、不思議なことに鍋次郎が生まれた年の記述に自分のことが書かれていないことに気づく。自分はいったい何者なのだ。この家の子ではないのか?やがて鍋次郎の出生の秘密とそれにともなう本当の父の物語が明らかにされてゆく。
 
 少々長くなったが、導入はこんな感じだ。ミステリの手法で描かれる鍋次郎のルーツを探る物語は、しかしなんともやりきれない無念の物語だ。いまでは知る人も少なくなってしまい(事実ぼく自身もこのことは本書で知ったのだが)ここで描かれるのは『忠臣蔵』にも比する一人の剛毅な武士の遺恨の物語。陰湿で愚かであまりにも幼稚な武士にあるまじき『いじめ』が引きおこす悲劇の物語だ。千代田の刃傷事件で検索すればこの事件の詳細はすぐ調べられるが、いつの世でもこんな陰湿な事件はあるものなのだ。

 

 とにかく本書の大部分を占めるこの悲劇のパートは読んでいてなんとも歯がゆく、辛い。組織ぐるみで一人の男を追いつめる手口は胸をかきむしるほどの怒りをよぶ。

 

 だが、こんなに辛く苦しい物語はラストで浄化される。最後まで読んで、ぼくは大いに涙を流した。鍋次郎の残された者としての鬱屈した思いや、父の無念の陰にあった切実な願いや、無垢な生命に対する純粋な希望が混ざりあって涙が止まらなかった。

 

 実際のところ本書には色々と説明不足な部分があり引っかかる箇所がいくつかあるのだが、それでもぼくは本書を読めてよかったと思う。時代物でこんな話は読んだことがなかった。タイトルにもなっている「ふくろう」にいったいどんな意味がこめられているのか。そして登場するふくろうの根付。この二つが重なったときに浄化の感動がおしよせてくる。