読書の愉楽

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月村了衛「コルトM1851残月」

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 廻船問屋の番頭でありながら、コルトM1851を懐に、江戸の裏金融を陰で操る男、残月の郎次。彼は番頭という姿と札差 祝屋の仕事人の二つの姿をもち、誰からも一目置かれる存在だった。

 本書の幕開けは、その残月の郎次が祝屋に敵対する親分と取巻きをコルトで皆殺しにするシーンだ。ここで、鮮やかにコルトの仕事振りが披露されるのだが、それと同時にコルトの急所も描写される。すなわち弾込めだ。この時代、六連発銃はまだめずらしくその威力は甚大なものなのだが、六発撃ち尽くしてしまうと弾を込め直さないといけない。その間はまったく無防備になってしまう。銃撃ちにとって唯一の弱点だ。しかも、残弾の心配もしなければいけないのである。込める弾がなくなれば、コルトはただの鉄の塊だ。はやくもその部分を知った読者は、このことが後々ストーリーに関わってくることを知り、自分の立ち位置を微調整する。それが主人公を窮地に導くものとして胸に刻み、不安要素を抱えたまま主人公に寄り添いストーリーを追いかけるのだ。

 しかし、しかしである。そのスタンスで読書をすすめてゆくと、少しづつ齟齬が生じてくるのである。本書の主人公、郎次は勧善懲悪のヒーローではない。彼は、いまの自分の実力を過信し、驕っているアンチ・ヒーローなのだ。だから、描写のところどころでなんとも不快な感情を呼び起こす部分が鼻についてくる。なんだ、こいつは。ちっとも好きになれない。ぼくは、そう思いながら読みすすめていった。しかし、作者の安定した筆は、この少し非現実的な物語をなんともしっくりとグイグイ読みすすめさせるのである。主人公を好きになれず、尚且つ他の登場人物も皆いやな奴なのにだ。

 だから本書はエンターテイメントとして充分に機能しているので、どんどん読んでしまう。そして、窮地に追い込まれる主人公、郎次に寄り添うことなく、おそらく最悪の結末に向かって突き進んでいってしまうのである。ラストは狂騒の後の静けさに満ちた、ほおーっと溜息の出るものだ。
郎次が単身敵の陣地に乗り込んでいくところは、北野武の「座頭市」のラストの大殺陣とおおいにかぶった。

 ま、ノワールってこういうものなんだろうね。基本、ぼくはあまり好きじゃないけどね。