読書の愉楽

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柴田錬三郎「もののふ」

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 死がすぐそばに寄りそっていた激動期の武士たちの生き様が描かれている短篇が12編。時代もバラエティに富んでいて、源平から戦国、幕末を経て明治まで。興味深いエピソードが次々と語られてゆく。表題作の「もののふ」と「戦国武士」、「武士気質」の三編は歴史上のいろんな人物をとりあげて、武士の本質をあぶり出してゆく。

 

 いままで時代小説はいろいろ読んできて、武士の生き様、心意気、信念のようなものをなんとなく理解していたつもりだったが、本書で描かれる武士の姿には息を呑んだ。たとえば「もののふ」でとりあげられている鎌倉権五郎景政は、十六歳で金沢の役に参戦、敵の部将島海弥三郎の射た矢に右眼を貫かれるがそれをものともせず逆に弥三郎を追いかけ、矢で射殺した。その首をもって本陣に帰った権五郎は「権五郎、手負い申した故、しばし、休息つかまつる」とそのまま倒れてしまう。そこへ同国の住人三浦平太郎為次が帰ってきて、哀れに思い権五郎の顔に足をかけ矢を引き抜こうとしたところ、いきなり権五郎が斬りつけた。愕く為次にむかって権五郎は「弓矢に当たって、死ぬのは武士の本望だ。あろうことか、面ていを土足で踏みつけられて、矢を抜いてもろうた、ときこえては、末代までの名折れだ」と言い放った。そしてあらためて矢を抜いてもらった権五郎は、次の日には血の流れる右眼へもぐさをあてて、赤い布でしばり、再び戦場に帰っていったそうな。

 

 わずか十六で?現代の感覚でいけば到底信じられる話ではない。「戦国武士」で語られる武田信玄の話もおもしろい。父信虎から蔑まされていた信玄は、弟信繁を偏愛する父の前ではすすんで痴愚の体を装い何を為すにも、弟信繁よりも劣ってみせていたそうだ。また自らが主となってから軍法を立てるにあたっても、勝利五分をもって上としていた。七分の勝利を中となし、完全なる勝利は下と決めていた。何故そのような考えなのかと問うと「五分の勝利は励みを生じ、七分は怠を生じ、完全なる勝利は、驕を生じる故に、厳に警戒せねばならぬ」と、こたえたという。

 

 このような逸話満載の三編の他に美濃の蝮として恐れられた梟雄斎藤道三の血も涙もない下剋上の過程を描いた「斎藤道三残虐譚」、本能寺の変の新解釈として忍者を登場させた「本能寺」、幕末の策士清河八郎の奇異な黒幕像を描く「浪士組始末」など短いながらも鮮烈な印象をあたえる短編ばかり収録されている。

 

 この人の描く武士は、たとえば藤沢周平のそれとはまったく違って、義を重んじる凛とした武士ではなく死地に立ちむかってゆくことを恐れない鬼神のような荒々しい武士であって、その現実離れした活躍は神話的でさえある。いったい、過去に生きていた本当の武士たちは現代に生きるぼくたちからみてどのような姿だったのだろうか。自分の腹を切るというのはどういう気持ちだったのか。刀で戦うとはどういう怖さだったのだろうか。親や兄弟を裏切って殺すとは、どんな心でおこなうことができたのだろうか。

 

 同じ武士でも戦乱の世に生きた武士と太平の江戸時代に生きた武士とではその有り様も変わってみえて当然だ。現代からみれば、武士と一括りにいってしまえば、たった一つのイメージでしか像が結ばないが武士の生きた時代は、平安から明治にかけて千年もあったのだ。その間に変遷があってしかるべきではないか。本書を読んで、そういったことを思い浮かべてしまった。やはり時代小説はおもしろいな。