読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

池井戸潤「空飛ぶタイヤ」

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 記憶は風化する。それが自分の体験でなければなおさらだ。必ずそこにあったはずの事実はボヤけて曖昧な心象の中に埋もれてゆく。確かにぼくは本書がモデルにした事故を知っていた。本書が刊行された2006年当時、ああ、あの事故のことを描いているのかと驚いたものだった。

 

 それがもうその詳細はかなり曖昧になっていて、いまではその事故があったのかどうかさえ不確実な事実として頭の片隅に転がっている始末。こんなに重大な事件だったのに、だ。

 

 本書を読むことは、その曖昧な記憶を掘り起こす行為でもあった。理不尽な死を迎えた罪もない人のことを思い出し、それをあまりにも利己的な理由でもみ消そうとした大企業の信じられない暴走に再び怒りをおぼえた。

 

 主人公は事故を起こした運送会社の社長、赤松徳郎。自社の所有する運送トラックのタイヤが走行中に外れて近くにいた母子に直撃。子は軽傷だったが母親は死亡してしまうという大きな事故を起こしてしまう。当然、彼の会社は厳しい世間のパッシングにあい、取引会社も取引銀行も手を引いてしまう。警察も介入し、問題のトラックはそれを製造したホープ自動車が原因究明し、「整備不良」との結果がでる。

 

 最悪だ。普通なら立ち直れないほどの大打撃なのだ。だが、赤松は自分の家族と社員の家族を守るためにまるで勝目のない勝負にでるのである。

 

 おそらく本書を読む誰もが読みはじめた時から、結末を予想できるだろうと思う。赤松が勝利するのは間違いないのだ。だが、そこに至るまでの過程が並大抵でないのである。社長といえども街の中小企業が財閥系の大企業を相手取っていったいどうやって勝利を得るのか?ただただ自分の会社を信じて、整備不良などではないという信念を曲げずに突き進んでゆく赤松社長。容疑者のくせに罪を認めようとしないと叩かれ、会社の資金繰りも困難になってゆく中で、何度も何度もくじけそうになりながらも、決してあきらめない彼の姿は、勇気を与えてくれる。努力すること、あきらめないことそして信じること。それが実をむすぶ様を、この作者は最高の舞台設定でもっとも効果的にうたい上げているのである。

 

 また、本書は大企業のリコール隠しという基本ラインを主軸にして、それに関わる様々な人間模様を群像劇として巧みに構成してもいる。そこには様々な思惑や醜悪な保身、生ぬるい官僚主義や理不尽な追求などが盛りこまれ、読み手も赤松社長と一緒に一喜一憂することになる。

 

 池井戸潤の小説が面白いことは充分承知していたし、その中でも本書が一、二を争うリーダビリティをもつ本だということも知っていた。だが、実際読んでみてあらためて驚いた。本書は傑作だ。これほど集中して読書をしたのは久しぶりだった。

 

 そして、ぼくの記憶は風化をまぬがれた。こんなひどい事件が本当にあったのだ。ぼくはそれを自分が体験したかのように錯覚するほど本書にのめり込んだ。

 

 素晴らしい読書体験だった。