読書の愉楽

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エレナ―・アップデール「最後の1分」

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 とある田舎町で爆発事故が起こる。本書はその事故が起こる一分前の出来事を、一章一秒で描いていく異色作だ。舞台となるヒースウィック・ハイ・ストリートは昔ながらの建物が軒を連ねる静かな町。最近はそこにチェーン店のコーヒーショップが進出してきて、反対運動も起こったりしたが、いまでは誰もが利用する店となった。他には花屋、ウェディング・ショップ、ペットショップ、銀行、新聞屋、クリーニング屋、葬儀屋、ダンス・スタジオ、靴屋、ケーキ屋、ガソリンスタンド、居酒屋、そして教会があり、事故のあった当日はそこでガスの工事をしていて、ストリートは片側一車線になって大渋滞。郊外学習にむかうスクールバスがそれに巻きこまれていた。

 

 チック、タック、チック、タックと無情にも破滅へのカウントダウンが刻まれてゆくが、当然のごとく登場人物たちはそのことを知らないわけで、神の視点で見ている作者と読者だけがそのことを知りながらただただ見守るしかないという趣向だ。この爆発事故で亡くなったのは六十五人。その人々と奇跡的に命をとりとめた人々、それぞれの動向が秒刻みで描かれてゆく。

 

 だいたいにおいて、突然のアクシデントで亡くなった人というのは悲劇の主人公となるに値する。生前におこなった行為がどんなものであれ、理不尽に命を奪われるという事実は、その当事者を聖人にまでまつりあげてしまう。それがいかに小憎らしい人であったとしても、まだあるはずの生をいきなり絶たれた人々には最大限の悲しみをもって接するべきなのだ。それは作者が用意した周到なウェブサイトでも確認することができる。作者自身が言及していることなのだが、このサイトでは大惨事に関する政府の公式報告、ラジオや新聞の報道、各方面から寄せられた被害者への哀悼メッセージなどが確認できるのだが、本書を読了した者は、そこに書かれていることに齟齬を感じることになる。過大な評価、事実とは違う記述、間違った認識。そこには命を寸断された者に対する最大限の敬意がある。

 

 そういうものなのだ。何が正解で何が間違っているとかではない。それが理不尽に人生を絶たれたものにとっての残された者からのはなむけなのだ。

 

 とまあ、以上が本書を読んでの表面上での感想。実のところ、ぼくは本書をあまり気にいってない。試みとしてはとてもおもしろいと思うのだが、その効果が最大限に発揮されているとは思えなかった。死へのカウントダウンは確かに読む者にどうにかできないものかという焦りを起こさせるが、いざそうなってしまうと不思議となんの感慨も生まなかった。本来ならカウントダウン後が本当のドラマなのだが、本書の意図するところはそこまでの各々の人生を切りとることであって、サスペンスを強調するのでもなく、事故の原因を追及するものでもない。だから自ずと焦点は何も知ることのない登場人物たちの日常の風景を追うことのみに合わされてゆく。だが、ぼくはそこに良質の物語を感じることができなかった。クライマックスへの秒読みに合わせてこの人だけは助かって欲しいとか、そんな無慈悲な目に合わせないでとかいう心の葛藤をあまり感じなかったのだ。そういった意味でぼくはこの本をあまり気にいってない。

 

 ほんと試みとしてはおもしろいんだけどなあ。