今日、今期の芥川賞と直木賞の候補作が発表されたが、本書の西村賢太も新潮12月号に発表した「苦役列車」で候補に挙がっている。だからというわけでもないのだが、たまたま手にとった本書を軽い気持ちで読みはじめたら、まさにグイグイと引っ張られてしまい、数時間で読了してしまったのである。
確かに二百ページにも満たない薄い本なのだが、本来、集中力の続かない性質のぼくが、一気に読みきってしまったのだから、これはすごい吸引力なのである。
本書はいわゆる私小説集。ここで語られる四つの短編はすべて作者西村賢太の実体験に基づく小説なのだ。これがなかなかに凄まじい内容で、一読驚嘆の世界なのだがとりあえずいつものごとく収録作のタイトルを挙げておこうか。
「貧窶の沼」
「春は青いバスに乗って」
「潰走」
「腋臭風呂」
このタイトルを見ただけでも、本書が持つ凄まじい内容が窺い知れるではないか。じゃあ、いったい何がそんなに凄いのかをぼくなりに説明してみようと思う。本書に収録されている四編は、すべて作者の若き日を描いている。中卒で家を飛び出し、日雇いの仕事を転々としながらその日の稼ぎを飲み食いや買淫に使ってしまい、薄汚れたアパートの家賃を滞納して何度も追い出される無為な日々。アルバイト先でおこした傷害事件で止めに入った警官を殴ってしまい、留置場に拘留された時でさえ、いまの境遇も悪くないなと思ってしまう怠惰な心情。これだけでもわかるとおりこの人は必死に生きているのだがすべてが裏目に出てしまう宿命を背負っているのである。だがそこには後悔が常に介在する。なのに、またすぐに裏目の人生に舞い戻ってしまうのである。弱い人間の常として、何事も他人のせいにするという悪癖にとらわれ、逆恨みにかけては人一倍強く、本性をさらけだしてしまう過程の短さはおそろしくはやい。もう、なんとも駄目ダメな人なのだ。後悔はするが反省はしないそのなめきった生き方が招く数々の障害はもはや必定。だから、この人はこういう人生を歩んでいるのである。
そういった日々がこの四つの短編で描かれる。時に生々しい描写を差し挟み、『結句』や『どうで』や『慊い(あきたりない)』なんて作者独特の言い回しを多用し、鬱々とした日々を恨み言まじりにどんどん描いてゆく。だが、感触は暗くもなく陰鬱でもなくむしろそこはかとないユーモアさえ感じられるのだから素晴らしい。
この人の本はこれからもどんどん読んでいこう。また気になる作家が現れてしまった。