読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

西村賢太「暗渠の宿」

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 祝・芥川賞なのである。もしかしたら、これで脚光を浴びまくって本書のようなテイストの破滅私小説を書くことがなくなってしまったらどうしようと詮無いことを考えたりしたのだが、その予想が的中したかと一瞬思ってしまった記事が先週の週刊文春に載ったのである。それは『家の履歴書』というコーナーで、西村氏の自宅リビングの写真が載っていたのだが、これがああた、すんごく洗練された美しいお部屋だったのですよ!彼の本を読んだ人なら誰もがそのギャップに驚いたことに違いない。まるでハードボイルド映画の一場面に出てくるようなシックで落ち着いたバーめいた小奇麗な部屋は、まったく賢太に似つかわしくない。やはり彼には茶色く陽にやけた四畳半の畳の部屋がしっくりくる。そこに敷かれた精液臭い万年床と底溜まりでひっくり返った一升瓶、貧困がじめじめとへばりついたような部屋にこそ西村賢太の真髄が宿っている・・・・・・と変に錯覚していた。ちょっと虚構の楼閣が崩れ去ったような空しさをおぼえた。

 

 だが、まだまだ読み残している彼の作品には貧困と暴力と臭気と汚濁が渦巻いているのである。本書に収録されているのは二編。タイトルは以下のとおり。

 

・「けがれなき酒のへど」

 

・「暗渠の宿」

 

 「けがれなき~」は、いつものごとく無頼の日々を過ごしている主人公が、風俗のような金で買う女ではなく正味の恋人が欲しいと、足掻く日々を描いている。どんなにがんばっても一般の女性とは接点を見出せない主人公は、やはり風俗へと足を向けることになる。そこで気に入った子をなんとか落とそうとがんばるのだが、そこにはやはりいつものごとく大きな陥穽が待ちうけていたのだった。
 こういうのが、この人の真骨頂なのである。もがいて、足掻いて、どんどん網に絡めとられていって、永久に抜け出せないがんじがらめになって落ちるところまで落ちてゆく。読者には彼がどういう目にあうのかは、手に取るようにわかってしまう。ああ、だめだめ、そんなことしちゃ絶対だめだよ。なんで、そんな簡単なことがわかんないんだよ―――――そう思いながらも、どんどん読まされてしまう。先が見えてるのにグイグイ引っぱっていかれるのだ。



 表題作は、しかし先の短編はいったいなんだったんだというくらいあっさりと彼女のいる主人公に出くわす。中華料理屋のウェイトレスをしていた彼女と同居するために一緒に住む部屋を探しているのだ。なんとか住む部屋を見つけて、さあ一緒に暮らしたはいいが、やはりそれはすんなりといかないさだめとなっている。女に対するささやかな不満、ふがいない嫉妬、抑えきれない衝動。なんで、そんなことを言うんだというような『絶対言ってはいけない言葉』を連発する男。そして繰り出される過剰な暴力。ああ、なんて駄目な男なんだ、こいつは。どうして自分を抑えることができないんだ、こいつは。そう思いながらも愉快な気持ちで行を追っている自分がいることに驚く。これはそういう小説だ。行ってはいけない場所に近づく恐怖と背信の愉悦。それが西村作品の魅力でもある。そして底辺に流れ続けるユーモア。この感覚はずっと持ち続けて欲しい。そして、いつか念願の藤澤淸造全集を出版して欲しいと思うのである。でも、師のように公園の片隅で凍死するなんてことはしないで欲しいのだが。