読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

皆川博子「蝶」

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 凄まじい短編集だ。もうこの一語に尽きる。薄くてすぐに読めてしまう本なのに、世界が変わり確実に自分の中に重くずっしりしたものが沈殿していくのがわかった。

 本書に収められている短編は、すべて詩句にインスパイアされている。もともとぼくは詩句には疎いほうで詩集や句集などは読んだことがないのだが、ここで取り上げられている詩句を読むかぎり、どうしてこのジャンルをもっと探求しなかったのかと歯噛みしたくなった。それほどに皆川博子の取り上げる詩句の世界は魅力的なのだ。本書を読んで、まず憧れが胸中を占め、詩句の世界に遊ぶ新鮮さを味わい、そして作者のつくりだす甘美で残酷な世界にしびれた。本書に収録されている短編のタイトルは以下のとおり。

 「空の色さえ」

 「蝶」

 「艀」

 「想ひ出すなよ」

 「妙に清らの」

 「竜騎兵は近づけリ」

 「幻燈」

 「遺し文」

 すべて舞台は日本である。それも一昔前、先の大戦前後の時代の話である。日本が世界から孤立し、狂気にまみれ熱く沸騰した時代。だが、ここで描かれるのは戦争ではない。戦争に翻弄される人々は出てくるが、戦争そのものにたいする記述はほとんどない。かわりに本書には、この時代に日本に根付いていた負の風潮が数多く出てくる。復員兵、戦争孤児、妾、男尊女卑、結核。そこに作者は美しさと、いい匂いと、残酷で清らかな詩句をおりまぜ、この上なくなめらかな文章でもって忘れがたい物語を紡いでいくのである。特に最後の三篇のインパクトは素晴らしい。夢に見そうなくらいだ。

 ぼくは、本書を読んでいて何度となく衝撃を味わった。これだけ色々な本を読んできて、いってみればすれっからしの部類に入るだろうと自認しているぼくが、まるで子どものように行を追って声を上げてしまった。こんなことは、もう十年以上なかったことだ。あらためてこの作家に出会えた喜びをかみしめる。

 どれだけ凄い作家なのだ、この皆川博子という作家は。