皆川女史が好きな詩の一節を宇野亞喜良氏に送り、それを元に絵を描いてもらい、その絵と詩からインスパイアされた話を皆川さんが書くという過程を経て本書の連作は成り立っている。収録作は以下のとおり。
「赤い蝋燭と・・・・・・」(『幻冬抄』木水彌三郎)
「美しき五月に」(『多田智満子詩集』)
「沼」(『コクトオ詩集』堀口大學訳)
「塔」(『吉岡実詩集』)
「あ れ」(『アンリ・ミショー詩集』小海永二訳)
これを読むと、やはり皆川博子の真髄は短編にあると思うのだ。甘い香りがするのに、そこには痛くて哀しい出来事があり、差しのべてくれる手はあるのに、気づけばつねられているような、やさしさとうつくしさと血と残酷なものが同居している蠱惑。ブッキッシュで、常に魅惑されるような驚きと流麗な文章にほだされて、少し郷愁が混じった原風景の中で遊んでいると、ひとりぼっちにされて不安になり、叫んでみるけど冷たい風が吹いているだけの孤独。守られている感覚はあるのに、相手を裏切ってしまい、哀しいおもいはしたくないのにどうしてもそうなってしまう必然。幼さの中にあるアンファンテリブル、未熟なのに老成した思考。ゆらぎ。かがやき。死。
人の中にある美しいものと醜いものを等価に描くことのできるのが皆川博子であり、ぼくらは、ただただそれを享受するのみなのだ。ぼくはまだすべてをまかせるまでには至っていない。なんならその毒気に当たっているくらいだ。でも、皆川短編はもっともっと読みたいと思わせる魅力にあふれている。
【 織機は血まみれ
殺した男どもの頭を錘に
彼らの血を横糸に
彼らの腸(わた)を縦糸に
ヴァルキューレは機(はた)を織る 】
子どもと歌う詩じゃないよね。でも、それが皆川博子なのであります。本書はそこに宇野亞喜良の絵が加わり、より幻想味の強い印象を与えてくれる。怪談絵本シリーズの『マイマイとナイナイ』でも二人はコラボしてたもんね。
というわけで、本編の内容についてはいっさい触れておりません。それは興味をもった各自が読んで確認してください。っていうか、是非読んで。読んじゃって。