読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ヘイク・タルボット「魔の淵」

 

魔の淵 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 古今東西の密室物であなたが一番傑作だと思う作品は何ですか?

 そんな質問をされたら、あなたならどう答えるだろう?

 ぼく?う~ん、にげるわけではないが再三言及してるようにぼくは密室物のいい読者ではないみたいだ。

 だから、これだ!とオススメできる作品はあまりないのだ。強いていえばカーの「夜歩く」の心理トリックが気に入ったくらいだろうか。ブランドの「ジェミニー・クリケット事件」にしてもあの白熱した筆勢に圧倒されたのであって、厳密にはトリックそのものに感心したわけではない。カーのもうひとつの傑作である「妖魔の森の家」はトリックそのものが戦慄すべきものだったが、これは厳密にいえば密室物というより消失ものだった。「三つの棺」にいたっては、期待が大きすぎたのか肩すかしもいいとこだった。

 そこで本書である。この作品はミステリマニアの間では、長らく幻の密室物だったらしい。かのエドワード・D・ホックが密室物のアンソロジーを編む際、欧米の作家や評論家17人に密室ベストテンを選んでもらったことがあったそうだが、そのとき1位であるカーの「三つの棺」を追い越すかの勢いで2位にランクインしたのが本書「魔の淵」だったそうな。

 なるほど、かなり凄い作品なんだ。1位が肩すかしの「三つの棺」ってのが気に入らないが、それでもこれだけ高い評価を得ている作品だから期待してもいいんじゃないの?

 そういうスタンスで読み始めた。

 舞台は、雪の山荘。だから必然的に雪の足跡がらみの密室トリックなんだろうなという予想はつく。予想は当たり、山荘の一室で殺人が起こるのだが、部屋に入るドアには鍵が掛っており窓が破られて屋根の上に犯人らしき人物の足跡が発見されるも、建物の周囲にはまったく足跡がなかったというのがメインの謎だった。

 いいんじゃないの?とても魅力的だ。これでトリックが島田荘司の「暗闇坂の人喰いの木」のおバカトリックみたいなのじゃなきゃいいんだけど。

 だが、恐れていたとおりここであの有名な〈ウェイスランドの法則〉がはたらいてしまう。そう、当たって欲しい予想が当たらず、当たって欲しくない予想が当たってしまうあの法則だ。

 無理やりこじつけたみたいだが、ぼくはこの法則にとらわれてもう三十年以上生きてきた。だから、いまさら驚いたりはしないのである。

 話がややこしくなってきたので、仕切りなおそう。つまり、本書のトリックもまったくの肩すかしだったわけだ。かの「暗闇坂~」ほどではなかったにせよ、大同小異だといってなんら差し支えない。

 しかし、しかしである。本書のプロットはいままでにないものだったということを強調しておきたい。これは、まさしくコロンブスの卵的発想だ。なるほど、こういう話の進めかたもあるんだと感心した。

 このことは解説で貫井徳郎氏も言及している。ほんと、目からウロコって感じなのだ。というわけで、本書も密室物に対する偏見をぬぐいさってくれる作品にはならなかった。

 まだまだ傑作といわれる密室物は数多く存在する。懲りることなく、一冊、一冊吟味していこうと決意を新たにした次第である。