読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

青柳碧人「怪談青柳屋敷」

怪談青柳屋敷 (双葉文庫)

 

  実はぼくも怪談系は好きでして。こういう実話系の体験談はなかなかいいものには出会えませんが、機会があれば読んでみたいタチでして。

 で、なんとなく手にとってみたわけ。この作者のことは昔話ミステリシリーズの作者くらいしか前知識なくて、でもそういうロジックに長けた人がこういう理不尽で奇妙で奇怪で『あれは、いったい何だったんだろう?』と思ってしまうような出来事を真面目に蒐集しているってとこが好感もてるではないか。

 おもしろかった。気軽に読めるのがいいし、なにより蒐集されているそれぞれの話が日常の延長線上にある不可思議な現象ばかりなもので、そういえば自分もなんかこんな奇妙な体験していたんじゃないかな、なんてふと思い出したりして、心の中の隅っこに隠れていた閉ざされた部屋のドアが開いた。

 ここで、それを披露しようと思う。

 幽霊なのかお化けなのか。ありきたりな日常の延長線上の出来事である。

 ぼくがまだ小学生だったころ、住んでいたのはまわりを山に囲まれた畑と田んぼばかりの田舎だった。家から数分のところには牛舎があって、前を通ると牛糞の香ばしい饐えた匂いが鼻にまとわりついて、夏など大量のハエに辟易したものだった。

 当時、ぼくは毎日近所の子たちと夕方遅くまで近くの空き地や、刈りとられた田んぼの中で草野球をしたり、川でザリガニを獲ったりして遊んでいた。

 ある日のことである。友だちといつものように集まってしこたま遊んで、ふと気がつくとたいぶ薄暗くなっていた。そのときいたのは、その地域にある三つの神社のうちの一つだった。背の高い杉の木に囲まれて、ほんとはそれほど暗くないはずなのに、ぼくたちのいた場所は影が折り重なって、すこぶる暗く感じたのである。

 そのときいたのはぼくを含めて四人。そのうちの一人、オッチが社の片隅を指さして言った。

 「あれ、なに?白いのおるやんな?」

 みんなが指さすほうを見る。ぼくには何も見えない。

 「どこ?」とキョロキョロ視線をさまよわせるぼくを後目にあとの二人も声をあげた。

 「おるおる。おるやん!」

 「うん、おる。よう見えんけど揺れてる?」

 えー?なんも見えんけど。みんなでぼくをかつごうとしてんのか?必死で探すぼくをほっといてあとの三人はわーわー騒ぐ。

 「〇〇(ぼくの名前ね)見えんの?」

 「うん、なんも」目はいい方なのに、なんでぼくだけ見えないんだ?

 「でも、ようわからんな。暗いから白っぽいのが揺れてるのだけが見えてて」オッチが言う。そこらあたりから、ぼくはなんかうすら寒い気がしていた。こんな昼とも夜ともいえない中途半端な暗がりで、ぼくにはまったく見えていないのに、他の三人には見えている『モノ』。

 ちょうど秋から冬にうつる季節だったと思う。暗くなるのが日々はやくなっていたんだっけ。

 「おい!いこ!」なぜか、焦燥感にかられてぼくはみんなに言った。

 「なんで?あれ、確かめにいこや!」見えていないぼくが怖がって、見えているあとの三人は怖がっていない。なんでこんな逆転現象が起こる?

 「ええから、いこ!もう帰らなあかん!ほら、行くで!」

 返事を待たずにぼくは自転車にまたがって先をいそぐ。友だちもぼくの勢いにつられて一緒についてきた。

 その日は、そこで終わる。別に何かに祟られたとか、友だちが熱を出したとか、何も起こらなかった。みんな平穏無事に日々を過ごしていた。

 話はそれから三年後にとぶ。

 いや、別にほんとにそれがそういうことなのかはわからない。こじつけかもしれない。なんの絵解きもないから、ただぼくが勝手に関連つけて考えただけだ。実際そのとき、白いモノを見てわーわー言ってたあの三人もまったく無関心で、あの時の体験とそれを結びつけて考える者はいなかった。
  事実のみを語ろう。三年後の同じ秋から冬にかわろうとする時期のことである。あの神社の社の片隅で首吊り死体が見つかった。近くに住む五十代の男性で、白いシャツに下はステテコだった。噂によると、その人は入り婿で家の金を使い込んでいたらしい。もともと気の小さい人で何も死ななくてもいいのにとまわりの大人たちはみな口をそろえて言っていた。ぼくは、その死体を見ていない。あの時、『白く揺れるモノ』を見た友人たちも見ていない。

 でも、しばらくの間ぼくの心の奥の薄暗い場所では、何か白いモノがブラブラ揺れている風景が映っていた。

 でも、そのことは本書を読むまですっかり忘れていた。奇妙なめぐりあわせだ。

 本書の内容にまったく触れてないよね?でも、雰囲気は伝わりましたか?