読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

『聖なる血と希望の丘ニコラ教団』と夢の図書館

 クァンメルクから北に数マイルいったところに、『聖なる血と希望の丘ニコラ教団』といういかにもいかがわしい名の宗教団体の本部がある。何もない砂漠の町で、道を通り過ぎるものといえば回転草くらいしかない辺鄙なところだ。教団の建物はガラクタの寄せ集めだった。大きな給水タンクにへばりつくように朽ちた木と鉄の廃材が組み合わされていて、ところどころに奇妙なオブジェのようなものがなんの脈絡もなく取り付けられている。赤い手、焼け爛れた鳥、大きな目、緑色の赤ん坊、舌の長い牡牛、牙の生えたウサギ、頭が二つある悪魔。鋭い日差しの中でそれらの不気味なオブジェは強烈な存在感をしめしていた。さながらそこは異様で巨大な地獄の遊園地だった。

 ぼくは、その不気味で狂的な建物の前に佇んでいた。どうやらいまからこの中に入るらしい。なんとも自主性のないことだが、夢の中でぼくは、無理やりこの中へ入らされることになっているようなのだ。


 まったくの無神論者でありながら、ぼくはこういった狂的な宗教集団への興味は人一倍もっている。チャールズ・マンソンという、とんでもない怪物の存在を知ってから、深淵なる狂気の世界の住人と宗教の関係に着目するようになったのだ。だが、自分が単身でその狂気の深淵に乗り込むなんてことは本意じゃない。こういった捨て身の行為は誰か他の人にやってもらいたいというのが正直なところだ。

 なんてことをしとどに汗を垂らしながら、つらつら考えていた。すると、入り口らしき部分の板が上に引き上げられ、そこに美しい女性が顔を出した。

 サイケデリックな地獄絵巻の中に現れた天使かと思った。透明で清潔な雰囲気を醸し出している天上人のような女性は、しかし予想外の暴言を放った。

 「おっさん、ヤリマンに骨抜きにされちまったのかい?なんてシケたツラしてんだよ!そんなとこで突っ立ってられちゃ迷惑なんだよ!用がないんなら、どっか行っちまいな!それともなにかい?あたしの股倉にもぐりこみたいのかい?」

 最後のセリフに思わず『ぜひ!』と言いそうになったが、そこはグッと踏みとどまった。やはりここは狂気の巣窟だ。こんなに美しい女性がなんて恐ろしい事を言い放つのだろうか。

 「ようよう、おっさん、あんた口利けないの?どうするのさ?どっか行くか、それともウチらの教団に入信するのか、はっきりしなよ!」そう言って女性は形のいい唇を歪ませながらレースを重ねたようなミニスカートの裾をひらひらと手で持ち上げた。長く美しい脚と白いビキニのパンティが目に眩しかった。

 「ぜ、ぜ、ぜ、ぜ、是非入信したいとおもいます!!!」先の大戦でも、これだけいい返事をした兵士はいなかっただろうというくらい素晴らしいバリトンで敬礼しながら返事をしたぼくは、その日から教団の一員となった。

 みなさんも期待しているかもしれないが、その日の夜からはじまっためくるめく淫らで深淵な教団の儀式についてはまことに残念だが涙をのんで割愛したいと思う。それはこの場では公表できない類の話なのだ。それでも是非知りたいとおっしゃる方にはサド「悪徳の栄え」とマゾッホ「毛皮を着たヴィーナス」とマンディアルグ「城の中のイギリス人」という黒いエロスの逸品をお読みいただければと思う。ぼくが体験した事柄は、ほぼその中に描かれているはずである。

 さて、この巨大な悪の迷宮のごとき大いなる教団本部には併設して私設図書館のようなものがあった。当初ぼくはその魔の図書館の目録を作成する仕事を仰せつかった。三十六人いる教団幹部の中には、文学的素養をもった人がいなかったのである。教祖であるジューダス(あの美しい女性のことだ)ただ一人によって集められた古今東西の珍本、奇本、その数四万冊。それをたった一人で系統だてて整理するという途方もないプロジェクト。しかし、それは大変困難な道だった。なぜならジューダスの蒐集した本はまさしくありとあらゆるジャンルを網羅していたからである。

 例をあげるなら

 「グリエンダ魔法哲学」 ロンパ・メリギウス

 「無惨な親指についての精緻なる論考」ケンジット大司教

 「堕天使ボルパイエスの贖罪」メイオ・ドン・フロリス三世

なんていうオカルト宗教まがいの古書があるとおもえば
 
 「冥王星ユリシーズ」プリマイヤ・スワンソン

 「イデオムバイス」 セーラ・カッジョ

とかいうフランス系のしょぼいSFがあったり

 「回転扉と虚心の首吊り」 ソングバード・ヤミコサ

 「山羊の頭骨湖」 ヤノボイッチ・プレキンドル

 「ズオッチ悪魔の尻わり椅子」イクスム・ジェスボトビッチ

なんて聞いたこともないチェコのミステリーなんかがあったり

 「スーマサンソン諸島のアゴ肉料理」というレシピ本や、「四歳からはじめる抜刀術」というハウ・ツー本、「なにがでるかな死体箱」といった絵本に「フーズー・ビンセントがなりたいコウモリ娘」というオランダの死刑囚による詩集、さらにさらに「音階が示す霊との拒絶」、「血吸いとしてのブランビリエ侯爵夫人」、「伝説ではなかった砂男」といったゲテモノ学教本やオルコットの書いた「お姉さまの濡れたふともも」、フォークナーの「サンクチュアリ(無削除版)」といった知られざるポルノまで、まことに百花繚乱、本好きにはこれほどの天国はないと思われる夢の図書館なのであった。一つの本を紐解けば思わず惹きつけられてしまう強烈な磁力があり、作業は遅々として進まなかった。寝る間も惜しんで、ぼくは目録作りに励んだが、気付くと三十年の月日が流れていた。その間には、教団の存亡の危機が三度あり、二回ジューダスが投獄され、ぼくは片腕をなくしていた。三十六人いた教団幹部はぼくを含めて七人
にまで減りそのうちの半分は狂気の中で生涯を閉じた。そしてぼくも狂気に蝕まれながら余生を送った。

 当然のごとく目録が完成することはなかった。ジューダスも帰らぬ人となり、ぼくもいつしか骨と皮だけになってしまった。