読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ニック ドルナソ「サブリナ」

 

サブリナ

サブリナ

 

 

 BD(バンドデシネ)は何冊か読んだのだが、本書はアメリカ産だ。もちろん日本の漫画とは感触が違う。まして、BDとも全く違う感触だ。

 無機質的なと形容すればいいのだろうか。登場する人たちはみな表情が乏しい。そこに感情の起伏はあまり見られない。感情がむき出しにならなくて、それゆえに焦燥感があおられ気持ちが不安定になる。憶測は闇を広げ不安は底のない穴に落ちてゆく。決定的な何かが起こるわけではない。しかし、その予兆がわれわれの感情を揺さぶる。実際こういうことは、起こりうることだから、余計始末が悪い。なんか、心の太かった拠り所が細く細く削られたような気がする。

 先走ってしまった。内容に少し触れよう。タイトルにもなっているサブリナがある日突然行方不明になる。ひと月後に各メディアに届けられるビデオテープ。サブリナを取り巻く人々は、不在ゆえの希望をむしりとられ、どん底に落とされる。そしてさらにそのビデオテープの内容がネットで拡散されるにいたって、事態は波紋を広げ誰もが心の痛手にさらに追い打ちをかけられることになる。

 先にも書いたが、登場する人物がみな表情に乏しく、男女の区別さえさほど強調されていないことにまず驚く。当のサブリナでさえ本の表紙を見てもらえばわかるとおり、男にも女にも見えるでしょ?その違和感は不安にも繋がる。作者が意図しているところなのかどうかわからないが、ぼくはそう感じた。そしてさらに意表をつかれるのが話の進め方だ。場面は唐突に切りかわり、そこで詳細は語られない。だから読者は、どんどん進んでいく事象を受け入れ想像でも補ってなんとか追いかけていこうとする。それも不安に追い打ちをかける。

 だから、すべてが不安を基盤に構築されている。もうひとつ演出的にうなってしまうのが、沈黙で語られる奥行きだ。絵だけですすめられるところが多く、それが様々な解釈を誘導して広がってゆく。だから、読み返すほどに新たな側面が見えてくる場合もあるだろうとおもわれる。

 一人の人間の失踪が投げかける衝撃。現代だからこそ誰もが納得する、あるいは身に覚えのある核心をついた恐怖。語られることのなかったこの事実がダイレクトに伝わってくる傑作だ。