グローバルな雰囲気の味わえる韓国文学。しかし、そこで語られる本質はいたって普遍的。それは儚さだ。消えてなくなりそうな、不確かであてにならないもの。
幸せは誰にでも訪れるものであり、誰もが等しく感じることができるもの。でも、幸せに基準なんてない。それは人それぞれが感じとるものであって、こちらの人が幸せだと感じたことが、別の人にも当てはまるかといえば、そんなことはない。価値観の違いで幸せのハードルも変わってゆく。では、幸せと満たされるということは同義なのだろうか。人それぞれが持つ思い、望み、夢。それらが叶うとき心は満たされる。やはりそこにあるのは幸せだ。人は満たされれば幸せを感じる。
本書に登場する人々はその幸せを求め得ない人々だ。求めようとしていないわけではない。求めようとしているのだが、それは得られない。みんな求めてはいるのだが、それが儚い。儚いがゆえに、結果がどうなっても日常はあまり変わらない。
まるでドラマのような劇的な瞬間など人生の中でそうそうあるものではない。第三者として神の視点で見る分には楽しいが、それが当事者になった日には目も当てられないありさまになってしまうだろう。
そう、ぼくたちは日常を暮らしている。変わらない毎日を変わらず変えることなく変えようとせず過ごしている。それが人生ってものだ。人と人との関わり合いの中で、良いことも悪いこともあるけどそれをやり過ごして日々を生きている。本書では光と闇が対称として描かれる。儚さゆえに、理不尽も不安も悲しみもそれほどダメージを与えない。いや、でも本当はすごく大きな穴が開いてしまっているのかもしれない。それは、目に見えない穴だ。目に見えないからこそ儚いのだ。
開いてしまった穴は、なかなか埋まらない。それは悲しみであり、孤独であり、彷徨だ。人は、常に求めている。光を。時には闇を。