懐かしい。これが刊行されたのが35年前。ひゃあ、とんでもなく昔じゃん!その当時、高校生だったぼくは、まだ本を読みだしたばかりの頃、山田風太郎からそろそろと筒井康隆や赤川次郎に手を伸ばしていた頃で、翻訳物なんてぜんぜん手つかずだった。
だから、この冊子がぼくの翻訳熱を盛り上げるのに一役買ってたのは間違いないのである。本書は、タイトルにもあるように赤川次郎の青春の日々をいろいろ綴ったエッセイで、当時のぼくはファンになった作家のことをもっとよく知りたいと飛びつくように買って読んだのだった。
ここでメインに語られるのは、赤川氏の読書遍歴。海外の古典を中心に、その当時をふり返りながら思い出や印象を語る真摯な筆勢が好感度バツグンで、まだ見ぬ海外古典の高峰をあおぎながら、羨望の思いを強めたものだった。でも、ここに紹介されている本のほとんどをぼくはまだ読めていない。それでもなんとか「罪と罰」と「嵐が丘」を読了して、いっぱしの本読みになった気がしたものだった。
次郎さんの紹介を読んでいるとシェンキェーヴィチの「クオ・ワディス」なんて、クソおもしろ本でしかない感じなんだけど、一回読みかけてあまりの分けわからなさに1ページで匙投げちゃったもんなー。だからいまだにジイドもヘッセもトーマス・マンもツヴァイクも読めてないのさ。ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」やパステルナークの「ドクトル・ジバゴ」やミッチェルの「風と共に去りぬ」なんかは、もうそろそろ手をつけてもいいころかななんて思っているんだけど。
そんな次郎さんも、この本を書かれていた当時(35歳くらいかな?)「失われた時を求めて」は、いまだに読めてないと書かれていたんだけど、読むことできたのかなあ。読めてなさそうだけどね。ま、こうやってまだ読めていない本に思いを馳せるのは、すごく楽しいことだよね。実をいうと、この時間が一番甘美なのかもしれないね。
だから、この冊子がぼくの翻訳熱を盛り上げるのに一役買ってたのは間違いないのである。本書は、タイトルにもあるように赤川次郎の青春の日々をいろいろ綴ったエッセイで、当時のぼくはファンになった作家のことをもっとよく知りたいと飛びつくように買って読んだのだった。
ここでメインに語られるのは、赤川氏の読書遍歴。海外の古典を中心に、その当時をふり返りながら思い出や印象を語る真摯な筆勢が好感度バツグンで、まだ見ぬ海外古典の高峰をあおぎながら、羨望の思いを強めたものだった。でも、ここに紹介されている本のほとんどをぼくはまだ読めていない。それでもなんとか「罪と罰」と「嵐が丘」を読了して、いっぱしの本読みになった気がしたものだった。
次郎さんの紹介を読んでいるとシェンキェーヴィチの「クオ・ワディス」なんて、クソおもしろ本でしかない感じなんだけど、一回読みかけてあまりの分けわからなさに1ページで匙投げちゃったもんなー。だからいまだにジイドもヘッセもトーマス・マンもツヴァイクも読めてないのさ。ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」やパステルナークの「ドクトル・ジバゴ」やミッチェルの「風と共に去りぬ」なんかは、もうそろそろ手をつけてもいいころかななんて思っているんだけど。
そんな次郎さんも、この本を書かれていた当時(35歳くらいかな?)「失われた時を求めて」は、いまだに読めてないと書かれていたんだけど、読むことできたのかなあ。読めてなさそうだけどね。ま、こうやってまだ読めていない本に思いを馳せるのは、すごく楽しいことだよね。実をいうと、この時間が一番甘美なのかもしれないね。