読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

田中兆子「甘いお菓子は食べません」

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 もちろんぼくは男だから、この短編集に描かれる6編に登場する不惑を過ぎた女性たちの心情は心底から理解できていないのかもしれない。でも、確かに共感できる部分はあった。

 ここで描かれるのは、中年にさしかかった女性たちのパーソナルな問題だ。めぐまれた環境にいない女性としての孤独、焦り、不安、恐怖。満たされているという充足感とはほど遠い場所にいる彼女だち。そういった、けっして簡単に解決できない問題が様々な形で描かれる。収録作は以下の6編。

 「結婚について私たちが語ること、語らないこと」

 「花車」

 「母にならなくてもいい」

 「残欠」

 「熊沢亜理紗、公園でへらべったくなってみました」

 「べしみ」


 四十一にしてはじめてプロポーズされた女性、仲のよい夫からセックス拒否を告げられた女性、突然の母の死に面し、気弱になる父を支え同時に責任ある仕事をこなさなければいけない女性、重大な問題を抱えて、いつそれが爆発するかとおびえながら暮らす主婦、五十手前で突然リストラにあってしまう家族のいない女性そして○○○に男の○○が張り付いてしまった女性。

 どこにでもある話なのかもしれない。ま、最後の作品だけは多分にファンタジー要素が勝っているのだけどね。しかし、ここで語られるのは普遍の物語だ。誰もがここに描かれる誰かに寄り添うことになるだろう。少なくとも、同じ気持ちを味わったことがあるはずだ。男のぼくでさえ、寄り添う気持ちは生じた。

 露骨に過ぎるところもあるが、基本女性だからそんなことはないとか、こういう感情は男特有のものだとか言われていてもやはり男女共通して、胸の中に抱えているものでもあるのだ。しかし、女性は新たな生命を産み出す偉大な役目を担っている。それが第一の運命であり、枷でもある。
 もちろん、出産が女性の最大級の存在価値なんていうつもりはない。しかし、子を産むことができるのは女性なのだ。これは、男には一生かかってもわからない。結婚、出産、育児、そして仕事。女性には、幾重にも重大な問題が立ち塞がる。いや、男としてぼくは無責任に他人事のように書いているが、これは夫婦の垣根を越えた問題でもあるのだ。

 本書を読んで、ぼくはこう思った。気持ちはいつも軽くありたい。心が常に重くともね。