読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

マーク・八ッドン「夜中に犬に起こった奇妙な事件」

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 ハリネズミの本箱の一冊である本書の語り手は“アスペルガー症候群”いわゆる自閉症のクルストファーという十五歳の少年です。

 養護学校の先生のすすめで本を書くことになった彼は、大のホームズファンということもあって、近所で殺された飼い犬の犯人捜しをミステリ小説として執筆しています。

 しかし、本書はミステリではありません。事件の犯人捜しという骨子はミステリとして残っているのですが、本書の本領はクリストファーという自閉症の少年が、自らのことを自分の言葉で語るというところにあります。

 彼の感じる世界、考え方、受けとめ方、あらゆることがはじめて自閉症というものに接するぼくには驚きの連続でした。瞬時にすべての情景を記憶にとどめてしまい、あらゆることに秩序を求め系統づけしてしまう。数学と物理に関しては天才的な能力を発揮し基数の三乗を千桁まで暗算することなど朝飯前。しかし、彼の世界は内的には底知れぬほど果てしなく広いのに、対外的にはおそろしく狭いものになってしまう。小学生にでもできるような、たとえば駅にいって切符を買うというような当たり前のことが、彼にとってはとてつもなく困難なことになってしまう。このアンバランスな状態が、クリストファー自身によって語られることで漠然としてではなく、身にしみる現実となってこちらにも伝わってきます。

 ぼくは、クリストファーから多くのことを教わりました。

 それにしてもすごい世界だ。そして、本書のぎこちない世界をリアルに訳しているのが小尾芙佐さん。アルジャーノンの名訳を彷彿とさせるいい訳です。