たとえば、ぼくは幼い頃、両親に海に連れていってもらって大きな岩の上に座らされて、怖くて泣いたことがある。その三歳の頃の記憶がぼくの一番古い記憶。
たとえば、ぼくは幼い頃、幼稚園に路線バスに乗って通っていたのだが、ある日先に出たはずの父の車が田んぼに突っ込んでいて、その隣りでぼくに気づいた父が手を振っていたのを見たことがある。
たとえば、ぼくは幼い頃、夜ベッドに寝ていて隣りの部屋で父と母が口喧嘩しているのを聞いていたことがある。
たとえば、ぼくは幼い頃、公園のブランコに乗って、ゆっくり漕ぎながら空を仰いでまっすぐな飛行機雲を見ていたことがある。
たとえば、ぼくは幼い頃、学校の帰りに車に轢かれて飛び出た片目を視神経でつなげたままもんどりうっている猫を見たことがある。
たとえば、ぼくは幼い頃、おばあちゃんに連れられて山口百恵が主演する「霧の旗」っていう映画を観たことがある。
そんな記憶に包まれて、ぼくは今にいたる。もっと他にもあまり他人に言わないほうがいいような体験もしたし、その記憶も残っている。そうやって人格は形成されてゆく。心の中には、自分でもよくわからない小部屋や暗がりがあって、時にそういう場所に入り込んで、驚くことがある。
記憶と心の関係はよくわからない。っていうか、ぼくは何が言いたくてこんな話を始めたのかよくわかっていない。とにかく本書を読んで、一息ついて、思いつくまま書いてみたらこんなことになった。
これって幸せなことじゃない?幼い頃の記憶がフラッシュバックして色々よみがえるって体験は日常茶飯事じゃないもの。この本には、こういう力がある。収録されているのは本当に短い作品ばかりで、それは250ページ足らずの本の中に5編も収録されていることからもよくわかる。描かれるのはラブ・ストーリー基本の話ばかり。しかし、そこに少し奇妙なものが混じっている。それは幽霊であったり、毒物混入事件であってり、幼くして死んでしまった男の子だったり、レイプされた女の子だったり、誰からも愛される男性だったりする。
小説としての完成度とかキラメキとか衝撃とか、そういったモロモロのものがゆったりとした情報量でもって流れこんでくるのが快感だ。そして、なんてことない日常に忍びよる不安なものとキラキラした幸せを両立させ、せつなさや肯定や生きる糧や抱きしめたくなる愛情を描いている。サラッとスルッと読めちゃうけど、心に居座る何かをもっている短編集。それが本書。
こんな説明でOK?
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