読書の愉楽

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チャーリー・ラヴェット「古書奇譚」

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 本書は三つの章が順繰り語られてゆき、全体を構成している。一九九五年の現在の章、一九八三年~一九九四年の少し過去の章、そして一五九二年~一八七九年のシェイクスピアの謎が解明される章。それぞれがラストに向けて集約されストーリーをのぼりつめてゆく。


 読みはじめは、主人公ピーターのネガティヴな性向に辟易して、あまりページがすすまなかった。ピーターは最愛の妻を亡くしたばかりだったのだ。しかし、彼はもともと内向的で他人と関係をもつことを極端に嫌い拒絶の人生を送っていた。その閉鎖を解き放ってくれたのが亡き妻アマンダだったのである。そうした失意の日々の中でピーターは書籍商として、イングランドウェールズの国境近くにある古書の街ヘイ・オン・ワイを訪れ、そこで一冊の本にはさまった水彩画を発見する。そこに描かれていたのは亡き妻にそっくりの女性だった。およそ百年ほど前に描かれたとおぼしいその絵の女性はどうしてアマンダと瓜二つなのか?彼はその絵をこっそり購入した本の中にまぎれこませて持ちかえり、少ない手掛かりからその謎を追うことにする。現代のパートはそうして謎がつながってゆき、シェイクスピアに関する世紀の発見を追うことになる。もちろん、本書の読みどころはそちらなのだろうが、ぼくが惹きつけられたのはピーターとアマンダの出逢いからアマンダの死までを描く少し過去の章だった。人と関わり合うことを避けてきたピーターが大学の図書室ではじめてアマンダと出逢い、少しづつ距離を縮めやがて結ばれてゆく、まさしく恋愛小説そのもののパートがすごく読ませたのである。

 
 読み手は、すでにアマンダが亡くなっていることを知っている。この物語が到達するのがハッピーエンドではなく悲劇であることを踏まえて、彼らの薔薇色の日々を追うのである。これは、怪我をした足を引きずって長い道のりを歩く行為に匹敵する痛みをともなう。二人の幸せな日々が素敵であればあるほどその痛みは強くなる。ここで断っておくがぼくは本来、恋愛小説を好んで読むことはない。どちらかといえば苦手なのだ。しかし、本書のこのパートは当初感じていたピーターへの拒絶の気持ちが応援する側へ変ることにより、すごく自然に物語に溶け込んで読みすすめることができた。これも作者の狙いなのかな?


 とにかく、ぼくはこのピーターとアマンダの物語に大いに惹きつけられたのである。アマンダの最期の場面を思い返すと・・・・・・ああ、なんということだ。


 おっと、本筋についても言及しておかなくちゃ。シェイクスピアをめぐる謎については、その出所がどうだったのかという部分をそのまま描いちゃってるのでたいした謎解きがあるわけでもなく、自然とわかる仕組みになっている。しかし、現代のパートにおいてその謎を追うピーターはなかなかの冒険に巻き込まれてゆく。こちらは、謎を秘めてサスペンスフルに描かれるので、読者としてはもうお腹一杯で本を閉じることになる。


 というわけで、読みはじめは少し気が乗らなかったが、読了してみれば本書は読んで良かったと思える本だった。オススメです。