今年も昨年に続いて格段と読書する時間のない年だった。31作品、36冊と昨年とほとんど平行線だ
った。意欲は充分あるのだが、どうも時間をとることができずに二年連続こんな結果になってしまった。
もうすぐ新年なのに、こんな言い訳で終えることになるなんて、なんとも残念なことである。
ではさっそく今年の年間ベストにいってみよう。今年も昨年に続いて、あまりにも読んだ本が少ないの
で、国内海外取りまぜてのベストとなった。
■1位■ 「美しき廃墟」 ジェス・ウォルター/岩波書店
この漠然としたタイトルから、いったいどうゆう話なんだ?と疑問しか出てこないのだが、これが読ん
でみるとなんとも豊饒な物語なのだ。描かれているのは出会いと別れと再会。これをきいて、なんだ、そ
んな単純なストーリーなのかと思った方、いえいえそんな簡単に片づけられる話ではありませんよ、と言
わせてもらいたい。物語は過去と現在をあざやかに切りとって行き来しながら、二人の人物の間に何があ
ったのか?それをとりまく人々の間に何が起こったのか?を描いてゆくのだが、作者はその一見単純にみ
えるストーリーを巧みに重層的に語り、時には登場人物の一人が書いた小説を挿入したり、映画のシノプ
シスを描いたり、章ごとに時と場所を変化させたりして読者を快く翻弄してゆく。史実と虚構を巧みに織
りまぜ細部にいたるまで目がいきとどいた構築美は当たり前のことだが、読んでみなければわからない。
読み応え、受ける印象、そして読後感。すべてにおいてぼくはこの本が大好きだ。素敵な映画を観た後
の、あの独特の高揚感が身を包む。未読の方には是非この高揚感を味わってほしい。
■2位■ 「横しぐれ」丸谷才一/講談社文庫
丸谷才一の作品は、読めば必ずなんらかの影響を受ける。それは小説技巧であったり、主題のおもしろ
さであったりするのだが、とにかくその刺激はぼくの背筋をかけのぼり、とてつもない喜びをもたらして
くれる。本書には四編の短編が収録されているのだが、とにかく表題作の素晴らしさには舌を巻いた。ミ
ステリの結構を保ち、読者の興をつないでゆきながら物語が終息するに従って、また別の真実が浮かびあ
がるという凝った仕掛けになっている。未読の方は是非これだけでも読んで欲しい。本当に素晴らしい小
説とは、こういう作品のことをいうのである。いわずもがなだが、他の作品もそれぞれ味わい深く決して
疎かにはできない作品ばかりである。
■3位■ 「淵の王」舞城王太郎/新潮社
この三編の中編で構成されている本の魅力をストレートに語ることは不可能であり、どうしても側面か
らの考察に頼らざるをえないのだが常に変らない舞城くんの魅力である真っ当で正直で愛こそすべてとい
う最強のメッセージは本書でも健在で、それが彼の奔流ともいうべき言葉のグルーブにのって語られる。
そして特筆すべきは、三つの中編それぞれで語られる怖い話である。詳細は語らないが、これがかなり
不気味である。この怪談はその後、『深夜百太郎』の話としてどんどん膨らんでゆくことになる。これも
まだ読めてないが、はやく読まねばなるまい。しかし、本書はそういった不気味な話で終始するんじゃな
くて最後にはやはり救われる。すこし強引だけどね。やっぱり舞城くんは良い。ぼくはこれからもずっと
彼の本を読んでいくよ。
■4位■ 「伝奇城」朝松健 えとう乱星編/光文社文庫
本書は『伝奇』物語のアンソロジーなのである。ぼくなどはもう『伝奇』という言葉だけでクラクラき
てしまうタイプなので、こういう本にはめっぽう弱い。とりたてて凄い突出した傑作があるわけでもない
のだが、おしなべておもしろく楽しめる作品が揃っている。ここで、はたと立ち止って考えてしまうのだ
が、はっきりいってぼくに『伝奇』の意味を明快に説明するスペックはない。もうこれは、身体に染みつ
いた感覚みたいなもので、うまく言葉で説明できないのだ。大雑把にいって『伝奇』はロマンであり、そ
こには物語の真髄がある。『伝奇』には正常の対極があり、稗史として正史の裏側を語る役割があり、よ
ってそこに語られざる物語の生まれる余地ができる。もう、そう考えただけでぼくなどはワクワクしてし
まう。まだ見ぬ物語に出会う喜びを感じてしまうのである。ああ、『伝奇』って楽しい。
■5位■ 「ドクター・スリープ(上下)」スティーヴン・キング/文藝春秋
あの「シャイニング」の続編なのである。36年たって、まさかあの名作の続編が書かれるなどといっ
たい誰が予測できただろうか。そして、気になるのがいったいどういう切り口で続編が成立しているのか
?という点だ。まず、タイトルでまったく予想不可能になってしまう。ドクター・スリープ?お医者さん
の話?で、スリープって催眠療法かなんかのこと?安易なぼくはぜんぜん真相に近づけない。
「シャイニング」は大きな括りでいう、いわゆる『幽霊屋敷』物だった。そこにはさまざまな謎が散り
ばめられ、不気味でミステリアスなストーリーの中でクライマックスの爆発に向けてすべてが集約されて
ゆく魅惑の構成をとっていた。謎と恐怖が巧みにブレンドされ、特殊な能力の妙味が加わり複雑な展開を
盛り上げぐいぐい引っぱっていった。その点、続編である本書は非常にオーソドックスな物語となってい
る。巨大な敵との対決という単純な構図と直線的な時間の流れ。だからとても読みやすく、とっつきやす
い。
しかし、本書を読んでぼくは思うのである。キングも歳とって丸くなったなあと。
■6位■ 「ロリータ」ウラジーミル・ナボコフ/新潮文庫
ぼく個人の見解としては、本書は壮大な冗談でしかない。ハンバートの手記として機能するこの小説の
企ては、基本的に信用できない。それは語り手の事情であり、そこに第三者が介入できる余地はない。ま
ったくナボコフも人が悪い。主人公を語り手にすることによって生まれる余地を彼は最大限に利用して本
書を構築した。なんでもない事だし、誰もがこの方法で小説を書いているが、本書の著者はあのナボコフ
なのである。とうていぼくなどには歯がたたないわけだ。しかし、本書を読んでその片鱗を味わうことは
できる。難解で晦渋な部分が強調され、その内容からも読者を遠ざけてしまっている本書だが、未読の方
はどうか臆せず読んでみてほしい。本書は、あれやこれやあって結構楽しめる小説でもあるのだ。特に中
盤の急展開には心臓が跳ね上がるほど驚いたしね。
■7位■ 「青い眼がほしい」トニー・モリスン/早川文庫
差別と偏見。問題はそれだけではない。モリスンは人類が抱えるこの大きな問題を当人の、それも子ど
もの目を通して清廉に描いてゆく。清廉で純粋ゆえに、そこにはきれい事ばかりでない残酷さも含まれて
ゆく。物語は神話性をおび、時系列を逆にたどるような構成でこのゴミと美しさの問題を掘り下げてゆく
。しかし、モリスンはそこに救いも弾劾も描きはしない。彼女は、どうしてそうなったのか?という問題
の答えを状況に求める。誰が悪いのかではなく、どのようにしてみんながそういう状況に追い込まれたのか
を描くのである。
いまだに根深く残るこの問題は、これからも決して解決されることはないのだろう。基準に照らしあわ
せた価値観と、それによって偏見と差別にさらされるという動かしがたい事実。自分がどちら側なのかと
いう基本的な問いかけを無視して、人はすべてを受け入れることはできないのか?生まれながらの敗者で
はなく、自分としての価値を胸をはって示すことはできないのか?本書を読んでいろんな思いが頭をめぐ
る。
■8位■ 「蘆江怪談集」平山蘆江/ウェッジ文庫
まったく知らなかった。泉鏡花と同時代にこんな人がいたなんて。しかし、その作品を一読すれば、こ
の人の凄さは身にしみてわかるはずだ。巻頭の「お岩伊右衛門」からしてすっかり掌中にとりこまれてし
まう。ここで語られるお岩の話は、われらが存知のあの毒を盛られて顔が変わってしまうお岩ではない。
もともとこの話には実在の事件があったそうで、蘆江氏はそれを元に書いているのかな?とにかく、初め
て読むお岩物語にいったいどういう結末がむかえられるのだろう?とちょっとハラハラしながら読んだ。
語られる時代が時代ゆえ、現代のわれわれにはどうやっても乗りこえられない大きな壁があって、それ
がこの本全体の雰囲気を醸しだしている。語り口と真似のできない雰囲気。そういったものが相乗してま
さしく絶品の怪談を作り上げているのだ。
■9位■ 「禁忌」フェルディナント・フォン・シーラッハ/東京創元社
本書で扱われている事件は、まことに特異なもので、読む人によってはその真相のあまりにもミステリ
とかけはなれた内容に怒りだす向きもあるかもしれない。
そうなのだ。法廷物であり、ミステリとしての体裁をとっていながらも本書の真相はミステリとしての
結構を保っていない。だが、そうであっても本書は読む価値のあるミステリなのだ。
本書の章は四つに分かれていて、それぞれ緑、赤、青、白と表題がついている。本編がはじまる前に
書かれているヘルムホルツの色彩論の一節『緑と赤と青の光が同等にまざりあうとき、それは白に見える
』という言葉と共に、本編が終わったあとの注記、そして作者シーラッハが日本の読者に向けて書いた巻
末エッセイにとりあげられている良寛の俳句。それら全部、表紙も含めてすべてが重なりあって本書を演
出している。事件のあらまし、真相、そしてそれら全部を内包する本という媒体。その全体の意味をなぞ
る時、読者は事件とオーバーラップするその演出に深く感銘を受けることになる。
■10位■ 「かわいそうだね?」綿矢りさ/文春文庫
本書には二編収録されている。短い作品だしすぐ読めてしまうが、相変わらず綿矢りさのしたたかさに
舌を巻いてしまうのである。あらためて断っておくが、ぼくは綿矢りさが美人だから、彼女の本が好きな
のではないのだ。それもファンである重要な要素ではあるが、ぼくは心底彼女の書く小説に敬意をおぼえ
ているのである。だから、これからもどんどん彼女の本を読んでいこうと思うのである。
彼女の書く話には、普通の人々が出てきて常に変らぬ日常を精一杯生きていくのだが、そこに思わぬ落
とし穴が生まれ、みんながそれに呑み込まれてしまうような結果を迎えてしまうのである。それはある意
味カタルシスなのだ。
というわけで以上が今年のベスト10である。読んだ数が少ないから、あまり精選という感じではないか
もしれないが、それぞれ読んで損はなしと言い切れる本ばかりである。どうか、来年はもっともっと本を読
む時間が作れますように。そしてみなさま、本年もお付き合いありがとうございました。
来年もどうかよろしくお願いします。