読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

サマセット・モーム「月と六ペンス」

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 

 

 

モームを読むのは初めてなのです。で、いっとう最初に本書を選んでよかったなあと思うのであります。ぼくも本読みの端くれなので、一応有名どころの作家さんのことは知識として知っていて、モームといえば小説巧者であり、小説読みとしても一級の人であったということはよくよく知っておったのであります。

 で、本書もかの有名な画家をモデルにした小説だということは知っていて、モームを読むならこれがいいだろうなと見当はつけていたのであります。しかし、この小説はとっつきやすい話だった。登場人物は少ないし、話の道筋は明快だし、文章は平易だし。

 ストリックランドという男の無軌道で独善的な行動から目が離せなくなる。彼は妻も子もある普通の幸せな生活をきっぱり捨てて、単身パリに飛ぶのである。それも40という歳でだ。ぼくならこんなことはできない。愛する家族や安定した生活を捨てるなんてことできない。そんなこと、怖くて仕方がない。しかし、彼はそれを実行するのである。それからの彼の言動は、まさしくサスペンスそのもの。いったい、この男が次にどんなことをするのか読者は目が離せなくなるのである。

 それはおよそ常人の理解を超えたものだ。正しい、正しくないという倫理や道徳を超越して、ストリックランドは屹立する。その姿には畏怖さえおぼえる。自分に置き換えて考えてみるということができないので、読者はただひたすら彼の軌跡を追うことしかできない。同調も共感もない。目を見張ることしかできないのだ。

 ストリックランドをめぐって様々なストーリーが語られる。そこでは必ず驚きが待っている。ストーリーテラーとしてのモームの面目躍如たるものがありありとある。本書は一人の作家がストリックランドの伝記を書いた体でつづられる。彼は(この彼って「月と六ペンス」内の作家ね)ストリックランドに反感しか抱かなかったにも関わらず、彼(この彼はストリックランドね)のことを追いかけずにはいられなかったのである。それは宿命的でもあり、観念的でもある行動だ。

 ストリックランドはこの話の中で最後には死を迎える。しかし、彼の行動には最後まで共感も得ず、いや逆に理解の範囲を超えていていっそ清々しいくらいなのだが、どうしてそういう行動をとったのか?どうしてそういう人間になったのか?という明快な答えは出ない。この秀逸なタイトルの意味も明快な答えがない。しかし、間違いなくストリックランドという男のことは心の中に残るのである。

 人生において、すべてのことが明快に割りきれる答えとして処理されることはない。そんなこと小学生でもわかっている。しかし、作品として世に出たものについては人はそれを理解しようとし、できれば共感や感動を得たいと思っている。本書はそれをはねつけて、逆に偉大な足跡を残した傑作だ。比較的薄目のページ数でもあり、先にも書いたとおりとても馴染みやすく、どちらかといえば軽めの作品だ。でも、それが本書を良書たらしめている。ぼくは、そう思うのである。

 たった一人の男のことが理解できなくてもだ。