読書の愉楽

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立川談春「赤めだか」

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 立川談春のことを意識するようになったのは、もちろんテレビドラマの「下町ロケット」の影響だ。 あ、この人「ルーズヴェルト・ゲーム」に出てたあの憎たらしい敵役の社長じゃないか。でも、今回はいい役してるな、なかなか味のある役者さんだ・・・なんて勘違いもはなはだしい認知しかなかった。

 その人がいま一番チケットのとれない落語家だと知ったのは、新聞のインタヴュー記事でだった。そうか、そんなに凄い人だったのか。でも、まだその時点ではその人の落語をきいてみたいとまでは思っていなかった。そして、年末本書が原作のドラマを観ていっぺんで虜になった次第。

 本書で描かれるのは、談春が高校を中退して立川談志の弟子になり、前座から真打になるまでのおよそ十年あまりのあれやこれやである。本書を読んで、あのドラマがなかなか忠実に再現されていたことを認識した。

 談春という人はかなり勝気な人で、江戸っ子気質というか、気風がいいというか、ぼくなどは選ばない選択をしたりするから驚く。しかし、それが噺家という芸人にとってなくてはならないものなんだなあということも、本書を読了して強く思う。そして、一番強く印象に残るのが家元である立川談志の孤高のカリスマ性だ。遅れてきた落語好きとなったぼくからすれば、まだまだ談志の凄さはわからない。でも、いまはYouTubeという便利なものがあって、各人の落語を自由に視聴できるから、ぼくは少しづついろんな噺家の落語を楽しんでいるのだが、「芝浜」という大根多を聴きくらべてみるとやはり談志が一番だと思うのである。三遊亭圓楽は、あまりにスマートすぎて情念に訴えるものがない。古今亭志ん朝は、江戸っ子の気風のよさが活かされて、耳馴染みのいい声とともに王道だなと思うが泣くまではいかない。人間国宝の十代目柳家小三治はさすが至芸ともいうべき素晴らしさで、目をつぶって夫婦の会話を聴いていると二人の人物がいるようでどっしりとした安定感があるが、これも情感でいえば談志が数段上である。

 これは噺家の腕の違いではなくて、いってみれば解釈の違いなのだ。ぼくは談志の「芝浜」を聴いて、泣いた。泣けた。これは泣ける。ほんと素晴らしい。談志は世界に引き込む。彼のいる空間が一気に物語の中に溶け込んでゆく。そういった意味では談春もそうだ。いつか、談春の「芝浜」も聴いてみたいものだ。 

 で、本書なのである。これはそんな談志への愛情にあふれた談春の青春記だ。談春の家元への思慕は、もうほとんど恋人に対するそれなのだ。だからすべてのエピソードが愛おしい。過去を回想して、談春は綴っているのだが、そこに悔恨はなく黄金の日々が輝いている。久しぶりに読み終わるのが惜しいと思える本だった。もう家元は亡くなってしまったが、談春の心の中にはいつも談志がいる。ぼくは、その世界に引き込まれて、落語という新しい分野に飛び込んでゆく。ぼくの心の中にも談志が、志の輔が、談春が、志らくがいる。もちろん、ぼくは立川志の輔のことは知っていた。だが、ぼくが知っていたのはタレントとしての志の輔であって彼の落語がこんなにおもしろいなんてこと、本書を読んで落語に興味をもったから発見できたことだ。彼のつくる創作落語もほんとおもしろい。古典落語もいいが、こういう創作落語もほんとおもしろい。いやあ、ほんといい本読んだなあ。