読書の愉楽

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フェルディナンド・フォン・シーラッハ「カールの降誕祭」

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 非常に薄い本だ。解説を含めても百ページに満たない。その中に短編が三つ収録されている。それぞれいつものとおりシーラッハ独特の短いセンテンスの文章で綴られる不条理な話ばかり。

 巻頭を飾るのは「パン屋の主人」。ここに登場するパン屋は、「コリーニ事件」にも登場していたことを解説を読んで知った。そういえば、そういう場面があったような気はする。だから「コリーニ事件」と本書を続けて読めば、驚きも倍増だ。ああ、あの人がこんなことしちゃうのか!てなもんである。すべてを描写せず、側面だけを見せて正面を予測させるようなシーラッハの描き方がなかなか秀逸。そこに読者各自の受け止め方の違いが生まれ、多面的な解釈の中で作品がある意味パラレルに広がっていくような錯覚をおぼえる。

 次の「ザイボルト」は、本書の中で一番結末に驚いた作品。まさかこんなラストを迎えるなんて、予想もできなかった。いったい彼の心にどんな変化が起こったのか?時間の経過を省略しているため、結果のみが先行し、そこに至る経緯がまったく見えないところがミソ。ある意味、これがシーラッハの真骨頂なのだろうね。それにしても、こんなことってある?

 表題作である「カールの降誕祭」は、本書の中では一番「犯罪」や「罪悪」に近いテイストの話。いっったい人を殺すという行為は殺人を犯す者にとって、どれだけの意義があるのか?また、それは何がきっかけで噴出するのか?本来はなんともやりきれない話なのだが、これがシーラッハの手にかかると不条理ながらも一筋の真理が差し込む説話にも似た味わいをもつから不思議だ。

 以上、シーラッハのファンにとってはまさにクリスマスプレゼント的なコンパクトな短編集だった。いつもと違って、タダジュン氏のこれも不条理な版画がページを覆い尽くしているのもとても印象に残るし
なにより本書は造本がなかなか素晴らしい。表紙をめくった本の青金色の質感や洋書めいた型押しの背文字の雰囲気など、もしこれが分厚い本だったら悶絶もんのつくりでうれしくなってしまう。久しぶりに愛おしい本の造りに出会ったという感じだ。

 あまりにも短いのですぐに読めてしまうが、いつまでも手元においておきたい一冊である。ささやかなクリスマス・プレゼントとして最適ではないだろうか。幸福とは程遠い少しブラックな味わいだけどね