読書の愉楽

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ジョン・ファウルズ「魔術師 (上下)」

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 本書を読むまえに抱いていた期待は、見事に砕けちった。曰く『第一級のミステリー並みに面白く』曰く『稀有な小説であり』曰く『優れた小説とは何か、を考えるとき、この「魔術師」は自分にとって、不動の基準の一つでありつづけている』と翻訳家の高見浩氏が言っておられるのである。そこまで言われるとやっぱり期待してしまう。

 

 しかし、それは違った意味で裏切られたのである。本書を読了したいま、間違いなく何か心に残っているものがあるのだが、生憎いまのぼくはそれをうまく表現する術を知らない。面白くなかったわけではない。何が起こりかけているのか皆目見当のつかない上巻はさておき、下巻になってからの展開には目を瞠るものがあったし、あらゆる手掛かりが真実に向かって意味をもちはじめるところなどは、なるほどミステリそのものの興奮を味わった。訳者の小笠原豊樹氏は本書を評して『精密な織物にも似たこの膨大な小説は、一面から見れば官能的でしかも倫理的な恋愛物語であり、また別の面から見れば探偵小説も顔負けのトリックと論理性に満ち満ちた冒険小説であり、また角度を変えて眺めれば異様に明晰なオカルティズム哲学の物語であり、そして全体を一望するならば、青春と歴史と実存とを巧みな力業によって渾然たらしめたシンフォニーのような作品』と言っている。

 

 まさしくその通りだといわざるを得ない。しかし、それは字面通りの意味ではないのだ。高見氏にしろ小笠原氏にしろ、その評を鵜呑みにしてさぞかし面白くてワクワクする本なのだと思ったら大間違いなのである。

 

 いったいどういうことなのか?本書は一人のイギリス青年の体験したあまりにも奇妙な出来事を描いている。舞台はギリシャの孤島。青年ニコラスはある恋愛体験に終止符を打ち、ギリシャで教職を得る。そしてそこで不思議な富豪のコンヒスという老人と出会う。週末ごとに老人の別荘に招かれるようになった彼は、そこで人間の実存を問われるある壮大な渦中に巻き込まれるのである。

 

 まさしくそれはドラマであり、一幕であり、様々なシーンなのだ。そこではあらゆることが意味をもちなんでもない仕草や言葉の端々にさえ隠された真実が宿っている。何を見ても、何を聞いてもそこには裏の意味があり、時にはそれは嘘であり、時にはそれは誤解であり、時にはそれは果てしない推論を導きだす。部屋に飾ってある絵、写真、名前や出来事の意味、象徴、キーワード、そして神話。

 

 本書は一読しただけでは決して味わい尽くせない小説だ。本来は二度、三度読んではじめてすべてがおさまるべきところにおさまる小説なのだと思う。まさに迷宮のような物語。

 

 だから二人の識者の言葉通りなのだが、けっして一筋縄ではいかない小説なのである。