読書の愉楽

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夏目漱石著 長尾剛編「漱石 ホラー傑作選」

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 本書は漱石の著書の中から不思議な話、奇妙な話などをピックアップして独自に編集した本だ。漱石は小説や随筆の中でそういった奇妙で怖いエピソードや幻想的な話を好んで披露している。自身そういった怪談やオカルトが大好物だったそうで、自然そういう話が一冊の本に編めるくらい集まったのだろう。

 

 そんな漱石作品の中で一番有名なホラー作品はやはり「夢十夜」だろう。これはタイトルにもあるとおり漱石がみた夢という体裁で十の夢が語られるのだが、実のところ本当にみた夢でなくまったくの創作らしい。しかし、これが夢の不条理さと不安を内包したかなり完成度の高いもので、中でも有名なのは第三夜の目の潰れた子をおんぶしている夢だ。ぼく自身これを二十年近くまえに読んでいたのだが、他の夢の内容はすっかり忘れているのにこの第三夜だけはほとんどおぼえていた。それほど、一度読めば印象に残る作品なのだ。

 

 他に収録されているのは長編「三四郎」より不穏な事故の顛末、「門」より因果のめぐる死の連鎖、「吾輩は猫である」より奇妙なエピソード四つ、随筆「永日小品」、「硝子戸の中」、「思い出す事など」からそれぞれ死や運命の不思議を感じさせるエピソードが収録されている。残りは単独作品の「変な音」と「趣味の遺伝」の二作品。で、ぼくが驚いたのがこの最後に収録されている「趣味の遺伝」なのだ。これはまず書き出しで驚いてしまった。無粋を承知で引用してみるとこんな感じ。

 

 『陽気のせいで神も気違になる。「人を屠りて餓えたる犬を救え」と雲のうちより叫ぶ声が、逆しまに日本海をうごかして満州の果まで響き渡ったとき、日本人と露人は「はっ」と応えて、百里に余る一大屠場を朔北の野に開いた。』

 

 どうですか?ぼくはこれを読みながら、いったいこれからどんな壮大で残酷な話が展開するんだとワクワクしてしまった。この作品はタイトルからもわかるように遺伝の宿命を描いている。漱石が自説として考え持っていたものを作品に投影しているのだ。一つの謎が提示され、それが解明される過程を描いている。神話的で刺激的な前代未聞のオープニングから一気に日常へとシフトしてゆき、物語は単純な構造を追いかけてゆく。漱石がこんな作品を書いていたんだと驚いた。

 

 というわけで、この傑作選は読了してみれば、どちらかといえばホラーというより幻想が主体となった作品集だった。興味のある方は是非お読みください。