読書の愉楽

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J・L・ボルヘス「ブロディーの報告書」

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 ボルヘスの比較的後期の作品をまとめたのが本書なのだが、ここに収録されている作品の半分近くがボルヘスの生まれ育ったブエノスアイレスの無法者を扱ったものだ。場末の安酒場にたむろする人を殺めることなどなんとも思っていないならず者たち。そんな男たちを主人公に、様々な物語が展開される。
 それらは実体験や人から聞いた話という体裁のいたってシンプルな構造をとっている。ぼくなどはボルヘスの真骨頂である「伝奇集」を読んでいないので、このシンプルさに驚くことはなかったが、そちらからボルヘスを知った読者にとっては、本書のシンプルさは失望をまねくものだったそうな。

 

 とまれ、本書にはそんなことどうでもいいような素晴らしい作品が収録されている。といってもこれはまことに個人的な感想なので、それが万人に受け入れられるものとは思っていない。でもこれがほんとすごい短編なのだ。短編のタイトルは「マルコ福音書」。おわかりのとおり聖書を題材にした短い作品だ。宗教がらみの話は願い下げだな、なんて不埒なことをおもいながら読みはじめたら、いきなり『事件が起こったのは一九二八年三月の下旬、フニン郡も南のほうのラ・コロラダ農場でのことである。』とあって興味を惹かれる。ほう、事件が起こったわけだ、と思う。何か事が起こったのだ。主人公は医学生のバルタサル・エスピノサ。底抜けのお人よしだ。彼はいとこの誘いで問題の農場に避暑にでかける。そこに住み込んでいるインディオをおもわせる無学な家族。このふた組が雨で氾濫した川のせいで偶然、農場に取り残されてしまう。そこで起こる問題の事件。う~ん、このラストには不意を突かれた。まるでメルヴィルの「ビリー・バット」と呼応するかのような衝撃だ。最後の一行の破壊力に打ちのめされた。
 ぼくの中では、この短編が本書の中で一番なのだ。表題作である「ブロディーの報告書」も「ガリヴァー旅行記」に登場する人間そっくりのヤフーを題材にした、とても面白い短編なのだが「マルコ福音書」にはおよばない。

 

 というわけで、みなさん、未読の方は「マルコ福音書」だけでもお読みください。十五分ほどで読めちゃいます。