チェイスが本書によってデビューしたのは戦前のこと。ハメットによってハードボイルドが生みだされ、丁度チャンドラーが「大いなる眠り」を発表した頃だ。よって、チェイスは英国初のハードボイルド作家となった。本書はそういうなんとも古臭い本なのである。
だからぼくは本書を読む前にあまり期待をかけていなかった。読む気になったのも、ハメット、チャンドラー、マクドナルドとアメリカのハードボイルド御三家の代表作を読んだので、ここらで英国のハードボイルドミステリの起源をさぐってみようかとなかば義務的な気持ちで読み出したのである。
だが、これが意に反しておもしろかった。そして読了したときには、これはハードボイルドの傑作だとまで思ってしまった。ぼくの中では本書はチャンドラーの「大いなる眠り」より断然良かった。ハメット「マルタの鷹」と見比べてもまったく見劣りしない。それほどの傑作だと思った。
ここで本書の筋を紹介するのが筋だろう。といっても、その骨子はとてもシンプルだ。富豪の令嬢が誘拐され、それをめぐって悪と正義がせめぎ合う。だが、その進行は非常に独創的であり、並の頭では思いもよらない展開をみせる。いってみれば常套からかけ離れた話なのだ。ぼくは本書のラストでミス・ブランディッシュが飛び降り自殺するものだと確信していたのだが、そういう展開にはならなかった。これはカタルシスをお預けにされたような感覚で少し残念だったが、よくよく調べてみると原書の初版本はことさら内容が過激だったようで、それがあまりにも残酷なので二版目からは改訂されたいたってノーマルな仕様となって刊行されたらしい。翻訳されているのはその改訂版なのだ。そしてさらによく調べてみるとその初版本ではミス・ブランディッシュは最後に飛び降り自殺をするらしいのだ。その他にも色々と当時としてはかなりイッちゃってる内容がてんこ盛りだったそうな。現代のぼくらの感覚からすれば、その過激な初版本も、なんてことない内容なのだろうが、これは読んでみたいなあ。