読書の愉楽

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上田早夕里「火星のダーク・バラード」

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 SFの意匠をまといながらも、本書の骨格はミステリ。舞台は火星。限られた範囲内のみを地球と同じ環境にするパラテラフォーミングで住環境を整えられた世界でハードボイルドな物語が描かれる。


 火星治安管理局の水島捜査官は女性ばかりを殺すシリアル・キラーのジョエル・タニを護送中、あまりにも奇怪な列車事故に巻き込まれ、犯人を取り逃がしたばかりか、バディである神月璃奈まで失うことになる。事故の間、意識を失っていた水島には璃奈の殺害容疑がかけられる。彼は、個人的に調査を開始するが、なぜか執拗な妨害がくり返され窮地にたたされる。やがて、水島は事件の鍵を握るとおもわれる少女アデリーンと出会う。だが、アデリーンには人類の未来が託された大きな秘密があった・・・・・。

 
 物語は、事件の謎とアデリーンという少女の謎を求めて、大きく動き出す。水島は何度も当局に捕まりながら、心身ともに傷つきそれでも真相を求めて走りつづける。


 最初に書いたように、本書の体裁はSFハードボイルドなのだが、水島とアデリーンが出会ってから極甘のメロドラマ要素が介入してきて戸惑う。物語の方向性が決まってしまっている話はさほど感心しないが、それでもその雰囲気を保持してほしいとおもってるところはあって、それが拡散してしまうとやはり印象はよくない。ぼくはそこに少し引っかかりを感じた。


 SFとしての設定は堂に入ったもので、安心して読めた。ただ、アデリーンが持つ力についてはありきたりの印象が残った。力を持つ少女といえば、このイメージが先行しているような気がする。ま、その力の拠り所としての説明はオリジナルなんだけどね。


 以前、ぼくはこの人の「華竜の宮」を読みかけて断念したことがあるのだが、本書は最後まで読みとおすことができた。それだけリーダビリティがあるということだ。いろいろ書いたが、総じて本書はおもしろい。安心して読める作品だといえます。もう一冊、この人の初短編集「魚舟・獣舟」に収録されている「小鳥の墓」が素晴らしい中編で、これが本書の前日譚だということだったが、詳細はもう霧の彼方だ。これってジョエル・タニの少年時代を描いていたんだっけ?


 とにかく、この人は堅牢でありながら柔軟な質感と女性ならではの情感を描ける人なのは間違いない。大きな作家になって欲しいなあ。