小説の方法論なんて大上段にぶちかます気はないが、本書を読めばその手法に刺激を受けて、どうしても小説の在り方に思いを馳せてしまう。
本書はそれほどに凄い読書体験をもたらす。この数行を読んでいったいどういう事だと思われた方もう少しお付き合いいただけますか。ぼくなりに本書を読んで感じたことを説明いたします。
本書の主人公は不惑を過ぎた大学職員の男、浜田庄吉。時代は古く戦後二十年を過ぎたあたり。出だしはなんのことはない日常の場面からはじまる。大学でのありふれた日々、しかしそこに不穏な出来事が介入する。ここでぼくはこれ以上詳しいことは書かない。『笹まくら』でネット検索すれば、この本の内容があたり前に読めるが、そこには興趣を削ぐ類の事も書かれている。これから読む人のためにもぼくは本書について必要最低限以上のことは書かないつもりだ。だからこれから読まれる方は本の裏に書かれている紹介文も読んで欲しくないくらいなのだ。
で、内容に戻るが浜田は過去にある事をしているのである。それが今も彼を追いつめる。過去でも追いつめられ、そしてその行為が終息した今でも過去の出来事が現実を脅かす。
ここで本書を読む者は目を見開くことになる。現在の浜田は事あるごとにその過去の出来事をふりかえる。それは区切られたシーンとしての記述としてではなく、浜田の思考上での処理として描かれるのである。どういう事?そう思うでしょ。これがあなたほんとびっくりなんですよ。
ジェイムズ・ジョイスの影響下に書かれたと思われる本書ゆえ、それは意識の流れとして処理される。いままで現在の時点での物語が続いていたのに次の行から唐突に過去へと場面が飛ぶのである。それはあまりにも鮮やかな移行で、そこに作者の技巧が加わるから最初は戸惑うが、やがてそれが読む興奮へと変化してゆく。現在から過去へそして過去から現在へ巧みに変化しながら、やがて物語は一人の男の人生を転写と反射によって浮きぼりにしてゆく。逃避の日々だった過去がロードノベルとしての興趣をも保ちながら現在の浜田の立ち位置を揺るがしてゆく過程がスリリングにそしてシニカルに描かれる。
また技巧面では三章から四章をはさんで五章へとつながってゆく部分の書き方が実験的であり、ここだけが他と違った印象を残す。それはいってみれば読者として発見と感慨を同時に味わう知的興奮とでもいおうか。もう、ほんとうに凄い小説なのですよ、本書は。
というわけで、本書を読むという行為は小説読みとしてこれ以上はないといえるくらいの至福の時間をもたらしてくれたわけなのである。小説にはこんなこともできるのだという興奮も含めてね。