読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

佐藤正午「鳩の撃退法(上下)」

[まとめ買い] 鳩の撃退法

 

 とにかくね、いままでに体験したことのない読書だったんですよ。何がどうなっているのかって細かく指摘しちゃあ興を削ぐって思うから、詳しくは書けないんだけど。

 本書は過去に二回直木賞を獲ったにも関わらず、いまは落ちぶれてしまい半分ニートみたいな、半分ヒモみたいな生活を送っている男の物語であって、その彼が現時点で書いている小説の体裁をとっている。情報を分別の範囲で提供すると、ここで扱われるのは一家の失踪と偽札事件。その事件が中心にあって、それをとりまく人と街と事象が描かれる。しかし、その描かれかたが普通じゃない。いや、普通だ。でも、違うのだ。何が?従来の小説作法とだ。ここには、語り手を通してみる小説世界の新たな地平がある。あのアーヴィングでさえ到達してない境地に達している。それは、刺激となり読む者を翻弄する。いや、ここまで言ったらハードル上げすぎか?

 でも、そうなのだ。これだけ小説を読んできたぼくがいうのだから間違いない。ここには新しくてわくわくする小説世界が広がっている。


 ああ、もうこれ以上は詳しく書いちゃダメだ。ほんと読んで体験してほしい、この感覚を。いってみれば、これは作品として研ぎ澄まされて完成したものではないのかもしれない。その途上を経過をもって同時体験しているのかもしれない。だから思考過程が語られてしまったり、時系列がいったりきたりしたり、描写の中に思慮が介入したりと忙しく読み手の気持ちを上げ下げしてくるのだ。

 一応ここに描かれている一連の出来事はこの元作家が体験したことであって、流れはそれに基づいて描かれる。しかし、実際のところすべてが明かされているわけではないので、作家の想像力でそうであったであろう出来事が挿入されたりする。それは、あたかもそうであったのではないだろうかという描かれ方をする。しかし、ところどころでこの元作家はひょっこり顔を出し、小説家というものはその物語を生みだしている存在なので、どのようにでも描くことができるものだ、なんてことを言ったりする。こうであれと思って描くこともできるし、やはりここは、こうしなければいけないと思いとどまって描くこともあるというのだ。

 ね?おもしろいでしょ。読者は物語を平面的に追ってゆく。ページを繰って、右から左へと読み進める。しかし、その中で段落や章で場面が変わり、現在から過去へ自在に時間を遡ったりもする。まあ、小説はそういうものだ。しかし、それは作者の思い描く構成の中で効果的に読者の元へ届けられるのが普通だ。

 そこで本書なのである。ここでは物語が躍動している。生きているかのように、今現在の出来事と過去の出来事がクロスオーバーしてまるでライヴのように疾走感をもって脳内を駆け抜けてゆく。それはいままでにない体験だ。この感覚は新しい。

 でもね、いったいどんな小説なんだ?って凄いのを想像しちゃうかもしれないけど、これがいたってノーマルな仕上がりなのだ。???←こんな感じになりましたか?

 適度なユーモアを交えて、本書は自由に語られる。フランクに思いのままに。それが勝手きままな描かれ方をしているけれど、そこには佐藤正午のテクニックが集約されている。

 本書はそういう小説なのであります。ただ一点だけぼくの中で整理のつかない問題があるんだけど、あまりにも翻弄されちゃって、読み逃しているのかな?

 すべてが終わってしまった今、ちょっとロスってる。こんなの小説でめずらしい。