噂をきいて、とうとうこの漫画を読んでしまった。ぼくは本書の著者である卯月妙子さんのことはまったく知らなかった。カルト的人気を得ていた企画物の伝説的AV女優だったということも、統合失調症で自傷と殺人の欲求に悩まされ7回も入退院を繰り返していたことも、最初の旦那さんが勤めていた会社の倒産で精神病が悪化し自殺されていたことも。
本書はそんな彼女が新しい伴侶となる二十五歳年上のボビーと付き合うところからはじまる。この親子ほどの年齢差のカップルは、微笑ましい馴れ初めからまるでベクトルの違う壮絶な体験をする。
ぼく自身、身の回りに統合失調症を患っている人がいないので、かつて精神分裂病とよばれていてその昔には狐憑きとして座敷牢に隔離されていたこの病が、実際どういう症状をもつものなのか本書を読んでその実態に言葉を失った。極度の緊張、単純な痴呆、意欲の低下、感情の鈍麻、幻覚、妄想、興奮。そしてそれを治癒するための投薬による副作用。
彼女は新宿のストリップ劇場で公演中に首を切り自殺を図ったことがあり、それはもはや伝説となっている。人ごみの中にいると脳の情報処理が追いつかなくなり、ブラックアウトしてしまうことなどは当たり前なのだ。
本書の中盤のクライマックスである歩道橋からの飛び降りの場面は、あまりの呆気なさに全身の毛が総毛立つおもいがした。その後の顔面崩壊した彼女の入院治療の場面は幻覚、幻聴のオンパレードで、この部分の描写はこの病を知らない者にとっては目を見開く壮絶さだ。
なによりもまず本書を読んでいて感じるのは、彼女を全身全霊で愛するボビーの存在の大切さだ。彼がいたことによって彼女は生きられた。彼が真正面から彼女にぶつかっていったから彼女は希望をもつことができた。本書を読んでいてその事実がひしひしと伝わってくるにつれ胸が熱くなってくる。
決して美しくないこの物語が至高の輝きをもって閉じられているのは、そのせいだ。何も解決してないし、何も元通りにはなっていない。なのに、本書を読み終わって残るのは明るい光なのだ。ラスト近くで彼女がつぶやく『朝が巡ってくる幸せ、日常の些細なことを繰り返す幸せ、生きてるって最高だ!!!』という言葉があふれる感情と共に胸に染み込んでくる。
彼女は不安定なままだ。現在も病に苦しみ、薬の副作用に悩まされている。
なにも解決していない。でも、彼女は生きてこうして少しづつでも自分の声を届けている。
そう、生きてるだけで最高なのだ。