読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ドリアン助川「あん」

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 タイトルになっている『あん』とはあの甘~いアンコのこと。主人公はちょっとワケありの独身男、千太郎。彼はさびれた商店街の一隅でどら焼きを売っている雇われ店長だ。そんな彼のもとにある日、高齢の女性がアルバイトの申し込みにやってくる。当然、千太郎は難色をしめしたが、その女性の作った『あん』を食べてあまりの美味さに驚いてしまう。バイト代も格安でいいという申し出もあり、千太郎はその女性、吉井徳江を雇うことにする。『あん』の味が格段に良くなったどら焼きは評判を呼び店はいままでにない繁盛をみせる。だが、同時に徳江についても不穏な噂がたってくる。それは、現代でも残るある病に対する偏見の嵐だった。

 

 ここで描かれる病とは、ハンセン病だ。いまでは治療法が確立されており、昔のように重度の障害が残ることもないし、感染源として隔離されるような事態にはいたらないのだが、それでも年配の方の間では忌まわしい病としてまだ記憶に新しいのではないだろうか。ぼくでもハンセン病より『らい病』という差別的な呼び名のほうがしっくりくるし、昔は天刑病などと呼ばれ前世でひどいことをした者が天罰のかわりに羅患する病気だとして極度に恐れられてきたのだ。でも、ぼく自身、この病に羅患した人を見たことはないし、歴史の中で具体的にどんなことがあったのかといったことはまったく知らなかった。ぼくがこの病気のことを知ったのは国枝史郎神州纐纈城」でだった。その後あの衝撃的な清張の「砂の器」の映画化作品で強烈に印象付けられた。

 

 本書でも吉井徳江のあまりにも辛い人生が描かれる。それは偏見と差別を一身に浴びる壮絶な人生だ。そしてその差別は『らい予防法』が廃止された現在でも連綿と生き続けている。ハンセン病は感染する。隔離されなければいけないほどの重度の病だ。そういった負の記憶だけが受け継がれ、いまだに患者の方々を苦しめている。完治しても後遺症として残ってしまった曲がった指や、引き攣れた顔面などを見ればどうしても忌まわしいものだと感じてしまう。多くの奇跡が重なってせっかくこの世に生を受けたのに、なぜこんな辛い病を患わねばならないのか?

 

 しかし、本書を読んで打ちのめされるばかりにはならない。ここには希望がある。逆境にたちむかってゆく勇気とすべてを受けいれそれを大きく包んでしまうような大いなる力が感じられる。いつも思うことなのだが、多数の意見に惑わされて自分の目や信じる心を見失わないようにしなくてはいけない。そしてすべての声を聞かなくてはいけないのだ。