読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

戦争とトカゲ

 タミヤのタイガー戦車のプラモが欲しくて、いつまでも眺めていたら店のおばちゃんが声を掛けてきた。

 「ぼく、そのプラモデルがそんなに欲しいのかい?」

 ぼくは驚いて振り返り、おばちゃんの顔をじっと見つめた。短く切った髪の毛をくるくるとパンチ・パーマみたいにしてるのでどことなく男性的な雰囲気を漂わせているのだが、森三中の大島によく似ていて真剣にこちらを見つめる表情は少し怖かった。

 「売っといて、こんなこと言っちゃあなんだけどね、その戦車ってのは格好いいかもしれないけど、人殺しの機械なんだよ」

 いくら子どもだといっても、もちろんそのことは知っていた。小学生でも、第二次世界大戦は知ってるし戦車がいっぱい人を殺してることだって知っていた。

 「1945年3月、わたしの祖母は東京を焼き尽くした空襲で生きながら焼かれて死んだのよ。父はマダガスカルで戦車の砲撃にあってバラバラに飛び散り、骨もかえってこなかった」

 そう言うと、おばちゃんは口を閉じて、じっとぼくを見た。

 「それでも、その戦車は格好いいかい?」

 ぼくは少し考えてから、こう言った。

 「たとえ人殺しの機械だったとしても、カッコいいことに変わりはないよ。おばさんの身内の人が実際に戦争で死んでたとしても、それは直接ぼくにかかわりあいのないことだし、特別どうという気持ちにとらわれることもないしね」

 それを聞くと、おばさんは少し天井を見てから「そりゃそうだね。話に聞くだけの戦争ってのは記録であって、実感できるものじゃないものね。そりゃあ、おばさんが悪かった。無理やり感情を押し付けちゃったね」と言った。

 ぼくは少しだけ悪いなと思った。こんなに簡単に大人が引き下がるとは思わなかったのだ。ぼくの意見にカッとなって怒りだすんじゃないかと思っていたのだ。

 「ううん、おばさん、ぼくの方こそ素直じゃなくてゴメンよ。でも、本当に体験してないから、わかんないんだよ。自分の気持ちに嘘つきたくないし」そう言うと、ぼくはそのプラモ屋を後にした。

 外はもう夕暮れだった。行きかう人たちはみな急ぎ足で脇目もふらず歩いていた。

 ぼくは一人歩いた。誰もいない場所に向って。決して他人が来ることのない秘密の場所に向って。

 そこにはすべてが在り、同時にすべてが無かった。

 物質はただのカテゴライズされた表現でしかなく、重要なのは本質だった。だからマテリアルとしてぼくはタミヤの戦車が欲しかったのだ。たとえそれが人殺しの機械だったとしても。

 小さな虫がぼくを追い越して飛んでゆく。

 ぼくは昨日トカゲを殺した。

 踏み潰したとき、ちぎれた尾だけが狂ったように跳ね回っていた。本体が死んでしまったのに動きまわる尾がとても不気味だった。

 そのことを思い出したとき、ぼくは戦争って嫌なものなんだなと心の底から思った。