読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

妻帰る。

 妻が戦争から帰ってくるというので、今日は朝からお出迎えのパーティーの飾りつけをしている。子どもたちも大はしゃぎだ。そりゃそうだろう、だってもう二年半も会ってないのだから。

 そうこうしてるうちに表で車がとまる気配がしたので窓から覗いてみると、ちょうど妻が幌のついた大きなトラックから降りるところだった。

 痩せたなぁ、あいつ。大きな荷物を抱えて、肩から自動小銃がぶら下がっている。妻は運転手に何か一言挨拶してこちらに向き直った。そのときぼくは違和感にショックを受けた。何かが違う。以前の妻とは明らかに違ってみえる。どこが違うんだろう?痩せているのは別にして、以前より冷たい印象を受けるのは確かだ。しかし、それだけじゃない。遠目だからよくわからないが、顔の造作も変わったような気がする。それが証拠に、はしゃいで窓にへばりついていた子どもたちがみな一様に黙り込んでしまったではないか。

 玄関のチャイムが鳴る。ぼくたちはみんな固まったままだ。間延びした感じで鳴ったチャイムの残響がいつまでも耳の奥で鳴っている。行かなきゃと思うのだが、身体が動かない。むしろ、外にいるものを入れてはいけないと頭の中では思っている。

 またチャイムが鳴る。今度はさっきより性急に。ぼくは、床にへばりついてしまった足をベリベリ剥がすような思いで玄関に向かった。

 しかし、ドアの前に立っていみると、いよいよ向こう側にいる者を入れてはいけないと感じた。子どもたちを振り返ると、いまにも泣きそうな目でぼくを見ている。何が哀しいんだい?ママが帰ってきたんだよ。そう言って安心させてやりたいが、声もでない。チャイムが狂ったように鳴る。

 意を決してぼくはドアを開けた。妻がそこにいた。やさしく微笑んで。しかし、それは妻であって妻でなかった。

 目の位置は左右でズレて、鼻は真ん中で大きく曲がっており、微笑みをたたえた口元は右側が大きく裂けたのを縫い綴じたようで大きく引きつれていた。

 ぼくの後ろで子どもたちが悲鳴をあげる。この世の終わりのような絶叫だ。

 彼女は、凄惨な顔で無様に微笑んだまま家に入ってきた。大きな荷物が戸口で引っ掛かり、強く引っ張った拍子に中からヘルメットや手榴弾や汚れた布っきれなどが零れ落ちる。ぼくは言葉もなく軽くえづきながら後ずさった。

 戦争が妻を壊したと思った。凄く悲しかった。なんだか動き方もギクシャクしてるじゃないか。彼女は人間として生活していけるのか?子どもたちは、もう怯えきってしまってどこかの部屋に引きこもったらしく、物音ひとつしない。ぼくは、まるでロボットのように歩く彼女の後を追ってリビングに入った。生温かい微風がぼくの後ろから追いかけてきた。それは死神の洗礼だった。生温かい風はぼくを追いこして、妻にとどきそこに留まった。そして、妻の身体を包みこむと雑巾を絞るみたいに彼女の身体をねじって細くし、次の瞬間には消えてなくなった。窓の外を見ると、大きな黒いマントの端が空に舞い上がるところが見えた。死神が二万三千人の亡者と共に妻の魂を連れていってしまったのだ。悲しみと恐怖。その二つの感情に翻弄されながら、ぼくはいつまでもその場に立ち続けた。妻の残した殺戮機械に囲まれながら。