読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

鼻血おばさん

※ みなさん、注意してください。一部グロい描写があります。




図書館の中はシンとして、誰かが空咳をする音が時々聞こえるだけだった。

ぼくはどうしたことか、とても大きい図版入りの皮装丁の本をめくっている。描かれている絵は本と同じ

くしてとても古めかしいもので、おそらく中世ぐらいに描かれたものらしい。

それは、とても悲惨なものだった。いま見てるのは、祭司のような服を着た男が後ろ手で杭に縛りつけら

れており、服と一緒に裂かれた腹から蛇のような腸が引き出され木で出来ている器械に巻き取られている

絵だった。男の顔は苦悶の表情を浮かべているが、目はどことなく虚ろだ。頭の後ろに後光がみえる。

どうやら殉教者の絵のようだ。そういえば、殉教者の話ってのはすごく残酷だったよなと思う。

生きながら皮を剥がれて塩をすりこまれたり、目玉を刳り貫かれたり、焼いた鉄棒をノドに突っ込まれた

り。およそ、この世の出来事だとは思えない残酷さだ。こんなことが本当に行われていたなんて俄かに信

じがたい。いや、信じたくないといった方がいいか。

でも、どうしてぼくはこんな変わった本を見てるんだろう?

そのとき誰かが大きなクシャミをした。思わず声のした方を振り返ってしまう。

後ろにいた年配のご婦人が、鼻をおさえて顔をしかめている。大きなクシャミだったもんなぁ。余韻も大

きいだろうと思っていると、鼻をおさえている手の隙間からボタボタと赤黒い血があふれ出してきた。

思わず声を上げそうになって、腰を浮かす。まわりの人は誰も気づいてないみたいだ。おばさんは、血を

溢れさせたまま同じ姿勢を保っている。おいおい、こりゃ尋常じゃないぞ。このままだとおばさん、出血

多量で死んじまうんじゃないか?

ぼくは席を立って、おばさんに駆けよろうとする。でも振り返ったとき、おばさんはいなかった。

暑い陽射しの中、ぼくはぶりぶり汗をかいて草を刈っている。丈の長い雑草だ。根元を一握りにして鎌で

刈り取っていく。葉は柔らかいのに、根元の茎の部分は異様に固いのでなかなか鎌の刃が通らない。

暑い上に力まかせの作業なので、汗が滝のように流れてくる。でも、不思議と不快感はない。むしろ、ど

ちらかといえば爽やかな気分だ。力はいるが、単調な作業なのでリズムに乗れる。

ぼくは汗だくになりながらも、鼻歌が出てくるほど気分よく作業を続けていった。

それにしても、ここはいったい何処だろう?知っている気もするし、初めて見る場所のようでもある。

お?あの青い屋根の向こうに見える高い塔はなんだろう?

すごく細いのになんて高い塔なんだ。テレビ塔だろうか。あの高さだと100m以上あるんじゃないだろ

うか。行ってみようか。近くで見てみたい。

そう思ったとき、草の茎を握った左手の甲を鎌がかすめた。軍手もせず、素手で作業していたからたまっ

たもんじゃない。手の甲をざっくり切り裂いてしまった。噴出る血。フラッシュバック。

鼻をおさえているおばさん。指の間からボタボタ落ちる赤黒い血。

そうだ!いままで忘れていた。あのおばさんはどうなったんだろう?

そしてアラビアに日は昇り、ぼくは途方に暮れたのである。