読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

リチャード・プライス「聖者は口を閉ざす」

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 本書で描かれるのは、善行の意味である。本書のエピグラフに「マタイによる福音書」が引用されているのだが、そこにはこんなことが書かれている。ちょっと長いが書き出してみよう。

 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らはすでに報いを受けている。施しをするときには、右の手のすることを左の手に知らせてはならない」

 本書を読了してこれを読むと、この警句が深く胸に食い込んでくるのである。


 ハリウッドでテレビドラマの脚本家として名声を得たレイは、すべてを捨てて故郷であるニュージャージーに帰ってくる。そこで彼はボランティアとして高校の創作講座の講師をはじめる。貧困にあえぐ人種の坩堝となった生まれ故郷。そこで彼は静かに善意を施して生きていこうと思っていたのだが、ある日何者かが彼の頭を殴打し、瀕死の重傷を負ってしまう。だが、一命をとりとめた彼は誰に殴られたのかを一切明かさない。事件を担当することになったレイの幼なじみでもあるネリーズは、真相を探るべくレイに関わる人々に話を聞いてまわるのだが・・・・。


 物語は、レイが殴られる前と殴られた後を交互に描くことによって事件の真相をあぶりだしてゆく手法をとっている。はっきりいって、はやい段階で犯人の見当はついてしまう。ぼくは物語半ばでわかってしまった。しかし動機にまでは辿りつけなかった。ここでこの物語を支えている「善行」が光ってくる。

 善行とは施しである。施しとは恵むことだ。恵みすなわちいつくしみ。そしていつくしみとは慈愛のことなのだ。そう、行き着くところは『愛』なのだ。愛があって善行となる。だが、この愛を自分のためにつかうか、人のためにつかうかで恵みは人を傷つけることにもなるのである。その境界線は曖昧だ。自分にそのつもりがなかったとしても勝手に解釈される場合もあるし、自分の本意とは違った解釈にとられる場合もある。そして、事件は起こった。さまざまな思惑をはらんで人々が動き、一点に集約されていく。

 ここではさまざまな悲劇が語られる。誰もがなんらかの物語を内包しており、それを語ることによって人々の心を動かしていくのである。

 ちょっと動揺しているのかもしれない。いつもにもまして、とりとめのない感想になってしまった。

 本書で描かれるのは真実の物語だ。ここには真実がある。一読忘れがたい物語だ。

 上下二段組で550ページと非常に長い物語だが、読んでソンはない。ぼくの予想では今年のミステリベスト上位に食い込むかと思われる。ま、それは付属的な事柄でしかないのだが。