SFの体裁をまとっているが、本書の眼目はそこにはない。それは、話を進めるだけの一つの手法であって本書で描かれる真のテーマは親と子の確執である。そう書けば、なんと辛気臭い話なんだと思われる向きもあるかもしれないが、ちょっとまっていただきたい。話はそんな単純なものではないのだ。
主人公であるレオは一頃ミュージシャンを目指したこともある、個人経営のオーディオ修理屋。最近、父親を亡くしたばかりで、心の整理がつかない状態で日々をすごしている。妻のエリザベスとの関係もなぜか浮ついていて落ち着かない。そんなある日、ステレオを修理しているレオの頭の中にありえない音楽が流れ込んでくる。それは、この世に存在しないビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の未発表テイクだったのである。不思議な能力に目覚めたレイは、未発表に終わった幻のアルバムを甦らせるべく過去に飛ぶのだが・・・。
本書が本国で刊行されたのは1993年。そしてこれが翻訳出版されたのが1997年。いまでは、この中で取り上げられているビートルズやブライアン・ウィルスンやジミ・ヘンドリックスの未発表アルバムは、そのほとんどが発売されていて耳にすることができる。
しかし、そうであっても本書を読む興奮は変わらない。なんせ、ジム・モリスンやブライアン・ウィルスンやジミ・ヘンドリックスが生で出演するのだ。こんな贅沢なことはないではないか。特に、一番最後に登場するヘンドリックスのくだりはとても印象深い。睡眠薬の多量摂取で27歳という若さで夭折したこの天才ギタリストがみた夢は、いったいどんな色彩だったのだろうか?特別彼のファンでもなかったが、本書を読んで、また認識を改めた。ヘンドリックスを筆頭に、ドアーズのジム・モリスンもビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルスンも、父と子の物語としてそれぞれの人生を読み解かれる。父という巨大な山を乗り越えるという偉業を果たそうとした天才たち。彼らもまた人の子であり、父親に愛されたがっている子供なのである。そして、主人公であるレイも、メキシコの海でダイビング中に死んでしまった父親の影を追い求め、嫌悪し、さらに追い求めようとする。言葉で説明しようとすると、どんどん複雑になっていくのだが、この感覚は本書を読めば一目瞭然なのだ。
決してリーダビリティに富んだ本ではないのは確かだ。しかし、なんと奥深く深遠な世界だろう。SFとしての意匠をまとい、事実そういう要素も出てくるが全体としての印象はSF小説を読んだときのものではない。それは、言葉にできない素晴らしい体験だ。
尚、本書には他にも数多くの楽曲が登場する。これは、ルイス・シャイナー自身の音楽体験をそのままなぞらえているのだろう。そういった意味で、本書は自伝的要素の濃い作品でもあるのだ。60年代の狂騒が圧倒的な質量でもって再現されるのも、そのためである。
というわけで、本書は人を選ぶ本かもしれないが、ぜひ臆せず手にとってみて欲しい。60年代の音楽に詳しくなくても結構興味深く読み進めていけるだろうと思う。本書にはそれだけの力があるのだから。
《追記》
本書の作者ルイス・シャイナーは、「輪廻」のリュイス・シャイナーその人であります。本国ではサイバー・パンク系のSF作家に分類されているらしいですが、「輪廻」も「グリンプス」も読んでみた限りでは、まったくそれらしくない作風でございました。もう一冊翻訳されている長編「うち捨てられし心の都」も紹介を読んだ感じではサイバー・パンク系ではなさそうです。なんとも不思議な作家でごさいます。