読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ウィリアム・フォークナー「エミリーに薔薇を」

イメージ 1

 昨年の暮れの刊行から、ずっと話題になっている河出書房新社池澤夏樹個人編集の世界文学全集なのだが、ようやくフォークナーの「アブサロム、アブサロム!」が刊行されることとなった。この難解といわれて久しいフォークナーの『ヨクナパトウファ・サーガ』に連なる大山脈に挑戦するには、あまりにも経験不足ゆえ、この福武から出てた「エミリーに薔薇を」を読んでみたわけ。

 

 それにしてもこの本がフォークナー入門書としてはうってつけなのはよくわかったが、まあ、なんと熱くて激しい世界なんだろう。

 

 本書を読む前に予備知識として、表題作の「エミリーに薔薇を」はなんだか凄い作品だというイメージはもっていた。確かにこの作品は全編にわたってピリピリと妙な緊張感が横溢しており、いってみればフォークナー版「黒い家」とでもいうべき様相を呈しているのである。ゴシック小説仕立ての怪奇サスペンスといわれている所以だろう。ラストの衝撃の真実部分も強烈な一発をお見舞いしてくれるし、これはやはり印象深い。

 

 だが、だがである。これより凄い短篇があったのには驚いてしまった。「ウォッシュ」という作品なのだが、これの凄惨で衝撃的なラストにはすっかり参ってしまった。なんとも静かな筆勢で描きだされるがゆえに、逆に陰惨さが強調されて凄い効果をあげているのだ。ここで描かれるのは「アブサロム、アブサロム!」で語られるトマス・サトペンの最期である。長編ではその部分の詳細が語られてないそうで、この作品はいってみれば補完篇なのだ。それにしても驚いたが、ここに描かれているのは、なんともやりきれない事件の顛末である。はっきりいってラストは鳥肌もんである。これは必読ですぞ。

 

 印象に残った作品のことを先に書いたが、他の作品もそれぞれおもしろかった。しかし、いくら南部文学とはいえ、これだけおおっぴらに人種差別が描かれていると圧倒されてしまう。この時代はまさに黒人が奴隷として隷属していた時代なので、その扱いには息を呑んでしまうことも少なくなかった。

 

 なんとも凄い時代だったんだなぁとあらためて思い知った。

 

 まだまだこの作家の分厚い長編に挑戦するには勇気がいるのだが、足がかりは出来たと思っている。

 

 「サンクチュアリ」あたりなら、読んでみてもいいかもしれない。でも、ゆくゆくは「アブサロム、アブサロム!」や「八月の光」なんて大作にも挑戦してみたいものだ。とりもなおさず、フォークナー文学は強烈だった。以前に読んだ「オコナー短編集」も強烈だったが、フォークナーもまた違ったアプローチでこちらの胸をグイグイ突いてくる。

 

 やっぱり神はすべてお見通しなのだなぁ。