こんなに短い物語なのに、これを読み通すには通常の倍以上の時間が必要だった。たとえ新訳でも、これほどに読みにくい文章があるのかと目を見開くおもいだった。メルヴィルとはなんと一筋縄ではいかない作家なのか。大仰な言い回し、肯定か否定かわからなくなるような長文、話の途中で挟まれるエピソードの引用。どれをとってもいまの小説ではお目にかかることのない読みにくさだった。
物語としては、本書は理不尽な運命を描いている。詳細を書いたとしても、およそ二行ほどで足りる内容だ。しかし、それだけ単純な事件にも様々な要因があり偶然と計略があわさって必然の結果へと導いてゆく。そしてそこにはあらゆる象徴が見出され、多くの解釈が生まれることになる。純真で太陽のように明るい美青年の若きビリー・バッド。彼は強制徴用によって民間の商船から強引に英国軍艦ベリポテント号に配属される。18世紀の当時、フランスとの戦いの中で慢性の乗員不足に陥っていた英国は商船や酒場などからなかば拉致するような形で水夫を集めていたのだ。そのことが元で当時は水夫の反乱が頻繁に起こっており、その事実がこの物語の底辺を流れているのである。
メルヴィルはそういった史実を掘りおこし、そこに残酷でドラマティックな物語を重ねてゆく。多くの聖書からの引用はいやでも宗教色を強調し物語に神話的な意匠をまとわせ、しかしそれが実務的あるいは哲学的なメルヴィル独特の言い回しの中で消化不良を起こす。無垢で純真であるがゆえに、まんまと計略にはめられるビリーと、彼を嫉妬と歪んだ性質ゆえに追い込んでゆく先任衛兵長のクラガートの構図は読者の目には歴然として映っているのに、ストーリーとしては裏切られる展開となってゆく。ラストで紹介される事の顛末を伝える新聞記事では、まったくの真逆の解釈で伝えられているのがとてもアイロニカルでありペシミスティックでもある。ビリーの最後の場面がかなり劇的に強調された神々しいまでの演出がほどこされているので、その余韻が残るうちに突きつけられる新聞の記事が反面の効果を高め、読者に強い印象を残すのだ。
メルヴィルといえばやはり「白鯨」なのだが、この大作はフォークナーの「アブサロム、アブサロム」やバースの「酔いどれ草の仲買人」、ピンチョンの「重力の虹」のようにおいそれと手を出すことをためらわせる長大さと難解さの雰囲気を漂わせている。この「ビリー・バッド」も決して読みやすい本ではないと思うのだが、短さがそれを補って手に取りやすい本となっている。メルヴィルの片鱗を知りたい方にはもってこいの本なのではないだろうか。