本書は「夜は短し歩けよ乙女」と非常に似通っている。といっても刊行されたのは本書のほうが先なのでこっちが本家本元というわけだ。しかし、似通った設定とはいえ本書も独自のカラーをもっており、無類におもしろかった。タイトルからもわかるとおり本書の主人公は恋するたなだ君である。地図製作会社の経理を担当する29歳。なんのおもしろ味もなく、いたって地味な生活を送っていた彼がある日道に迷って訪れた見知らぬ街で、光輝く女性に一目惚れしてしまったことから奇妙でエキセントリックな冒険が幕を開けるのである。彼が迷い込んだ街はとある男に牛耳られたなんとも不可思議な街で、軒を連ねる店には『経師屋』『ボタン屋』『代筆屋』『綿菓子喫茶』『レジュメ屋』『新聞記者屋』『サンダルフルート屋』なんて奇妙なものがあふれ、駅前広場ではチロル帽をかぶった男が楽しそうにハモンドオルガンを鳴らしていたり、マジックマッシュルームの露店があったり、暴れるイギリス人がいたり、ルーズソックスをはいた年増の娼婦がいたり、くちづけする青年と青年がいたり、泣きながらゲームセンターから駆け出していく奥さんがいたり、ゲロを吐く日舞のお師匠さんがいたりするまさに異空間であったのである。
ね?これだけでもちょっとソソられるでしょ?出てくるガジェットは似て非なるものなのだが、物語の構造は非常に似通っている。一目惚れしたたなだ君は突き上げる衝動に身をまかせ、なりふりかまわずその女性に猛突進してしまう。それは恋は盲目といった可愛い次元の話ではなくまさしく獅子奮迅、おそらく誰もが彼の行動には引いてしまうことだろう。しかし、この当初抱いた彼への疑念が物語の進行につれて微妙に変化していくのが本書の読みどころである。まったく正当で、クソ真面目な彼の人柄は裏をかえせば恋に不器用で下手すれば気持ち悪いなんて思われてしまうとこなのだが、これがやがて意外に頼もしく好ましい人物に映ってくるから不思議だ。へんてこりんな街でへんてこりんな登場人物に囲まれ、だが意中の女性を一生懸命追い求める彼の情熱に読者は知らず知らずのうちにエールを送っていることだろう。
「夜は短し~」が好きだった方で本書を読み逃している方がおられたら、どうか手にとって頂きたい。
おんなじシチュエーションで、これだけ読ませる本がまだ存在したのかと驚くはずである。
藤谷治かぁ。よく憶えておこうっと。