読書の愉楽

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坂木司「青空の卵」

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 この本は読む前から少し身構えていた。なぜなら、本書の探偵役が引きこもり青年だということを知っていたからだ。どうもぼくはそういうネガティブなものが好きではないので肌に合うのか心配だった。

 予想は的中して、一番目の作品を読み終わった段階でこれは肌に合わないなと思った。引きこもり以前に、探偵役と主人公との関係がなんかホモっぽくて気持ち悪かったし、作者と同名の主人公の性格がどうも好きになれなかった。男としておそろしく弱々しいではないか。

 しかし、しかしである。

 第三話の「冬の贈りもの」を読んだところからガラッと印象が変わってしまった。

 この話でぼくはホロッときてしまったのだ。感情を揺さぶられてしまったのだ。それまでは話の内容もピンとこなかったし、どちらかといえば人間のいやらしい部分をピックアップしたような謎の真相に嫌悪感すら持っていた。探偵役の鳥井のキャラ設定にしても、いくら病気を抱えているとはいえ決してお友達になりたいとは思えないタイプだし、ミステリとしての魅力にも乏しかった。

 だが、この三話が転機となった。ここで描かれるのは二話でも登場した歌舞伎役者の女形である安藤純に送りつけられてくる奇妙なプレゼントをめぐるミステリだ。この話の真相にはいたく感動した。そして、謎を解き明かす鳥井の姿勢にグッと心を掴まれてしまった。そうなると、もういけない。いままで、反感しか抱かなかったこのやわらかくて、なよなよして、涙もろい世界があざやかに反転して好感に変わってしまった。鳥井のぶっきらぼうで暴力的ともいえる言葉遣いにしろ、善意の塊のような坂木の純粋な言動にしろ、二人のあまりにも親密な関係にしろ、みんなスルスルと咽喉元を通り過ぎてしまったのだ。

 そして次にひかえる第四話「春の子供」で、それは頂点に達する。ここで取り上げられるのは坂木が街中で保護した身寄りのない子供をめぐるミステリなのだが、同時に鳥井の過去のエピソードが挟まれ彼のバックグラウンドの断片も描かれる。これがまたツボだった。ぼくは、どうも捨てられた子に弱い。ここで語られる鳥井が受けた痛みはひどく心に食い込んできた。それを踏まえて、彼の父親が絡んでくるあたりいかにも出来すぎという印象も受けるが、そんなことは気にしない。この時点で、もうぼくはこの物語に取り込まれてしまっていたのだ。ミステリとしての結構も難点は多々あるのだが、それも気にしない。第三話での『若芽会だより』の扱いに不満があったとしても目をつぶってしまう。ボロボロ泣く坂木にも目をつぶってしまう。とにかく、最初に感じた違和感はみんなねじ伏せてこの世界の終焉を見届けようと思ってしまったわけなのだ。

 このあまりにもピュアで、やさしく真っ白な世界に鼻白んでしまう向きも多いことと思う。実のところ、ぼくもそういう世界はあまり好きではない。目に見えない他人の不幸を嘆いて涙を流すなんて、ナンセンスもいいところだと思う。しかし、ここには忘れてはいけない純粋な愛がある。ちゃんちゃらおかしいと思っていた善意の心がある。他人に示す善意ほど勇気のいるものはないが、それを忘れてはいけないと思わせる力が本書にはあるのだ。たとえ、嘘でもいい。本書の中だけでもそういう世界に身をまかせるのもいいんじゃないかと思ってしまうのだ。そうすれば、自分の心の中にもこういう気持ちが残っていて、それを快く感じていることにちょっとうれしくなってしまうのだ。ぼくは、そういう風にして本書を受け入れた。このシリーズは続けて読んでいこうと思っている。