映画とのコラボレートだそうで、非常に短い作品である。分量的には短編ほどしかない。本書がコラボレートした映画とは「卒業」という映画で、2002年に公開されているらしい。主演が内山理名と堤真一だそうである。この映画のことはまったく知らなかった。最近はよほどメジャーなものでないと存在すら知らない映像化作品があって驚くことがある。これもう映画化されてたのかとか、この俳優がこんな映画に出てたのかとか、あとになって気づくのである。だから、この映画のこともまったく知らなかった。もう、映画自体が一般から逸脱した存在になっているのかもしれない。昔ほど娯楽の頂点に君臨できなくなってしまった結果だろうか。
それはさておき。本書は、その映画のサブストーリー的な内容となっている。もちろん、先の映画を観なくても単独作品として楽しむことができるように書かれている。
本書の語り手は、映画には登場しなかった徹也という青年だ。彼が思い出の場所である水族館で弥生を待っているところから物語ははじまる。解説を読んで知ったのだが、これは映画のラストから繋がっている場面なのだ。映画のラストで父と別れた弥生が向かう先が、この徹也の待つ水族館なのだ。
ここで、簡単に映画のストーリーを紹介してみよう。
短大生である弥生が19年間会うこと叶わなかった父と再会する。短大の心理学講師である真山に娘としてでなく他人の名を騙って近づいたのだ。弥生は真山が父だということは知っているのだが、真山は弥生が自分の娘だということは知らない。こういう位置関係で映画は進行していく。
真山はいまでは新しい恋人もできていたが、かつての恋人である弥生の母をずっと捜し続けており、まだ見ぬわが娘のために19年間少しづつ貯金を続けていた。しかしある日のこと弥生は、その自分名義の通帳を偶然拾ってしまう・・・。
この映画は、肝心な部分が描かれていないのだそうだ。なぜ真山は弥生の母と別れることになったのか、またなぜ弥生の母は真山に居場所を教えないのか。物語の主要な部分の説明がすっぽり抜けているのだそうだ。だが、そうすることにより物語に奥行きが生まれる。観客は想像力をフルにいかして物語に食いつこうとする。この映画はそういった映画なのだそうだ。
そして、本書だ。本書はそんな映画では語られなかった事実が明かされることになる。弥生の母、葉月の馴れ初めから別れ、そして葉月の死の描写。
せつなさに関しては前回読んだ「天使の卵」のほうが上だった。解説で池上冬樹が絶賛するほどの完成度もないように思う。でも、残るものはある。ちょっと泣きそうになった場面もあった。
ほんとうに短い作品なのだが、そういった意味では読んでよかったなと思っている。それにしても、巻末のあとがきは揮ってた。この作品を執筆した当時のことが書かれているのだが、村山さん、こんな大変な目にあってたんですね。