本書は、山口瞳自身の家系の謎に迫る本である。自分の過去を語ろうとしない母。美しく奔放で、どち
らかというと豪放磊落な性格の母の出生について氏は何も知らなかった。幼い頃に見た光景、家に出入
りしていた人たちの言葉、そして数々の資料をひもといて氏は自らの出自の謎に迫る。
謎が解明される過程は、まさしくミステリのようだ。それも真相を知りたくない類のミステリだ。
血の系譜を知るということは、興味と恐怖が混在する行為である。
自分の先祖が誰で、どういうことをした人物だったのか。これは知りたいが、知れば見なければよかっ
たと思うこともあるかもしれない。
著者の山口氏は、その一族の謎に全力でぶつかっている。氏の生年は1926年、本書が発表されたの
が1979年。
その間53年。氏は50になるまで、この謎に手をつけられなかったのである。
知ることの恐怖が、著者に二の足を踏ませていたのだろうか。その切実な思いは、読んでいるこちら側
にも痛いほど伝わってくる。氏の母に対する熱い思いが、一族に対するやり場のない無力感が、ひしひ
しと読み手に伝わってくるのである。自らの出生の秘密をこれだけ赤裸々に語った書を、ぼくは知らな
い。すさまじい私小説だ。