ドラキュラもフランケンシュタインも原作を読んだことはなかった。こういうのって、どうしても映画を代表する他メディアで最初の洗礼を受けてしまうから、なかなか原作にまで手が伸びないのだ。でも原点に接してみると当然のことながら、その世界観の違いに驚くことがある。ちょっと毛色は違うが「ピノキオ」なんて、ディズニーのアニメだけで内容を知った気になっていたら大間違いだったからね。読んでおられない方がいるなら、ぜひ読むことをオススメする。一読の価値はあります。
で、本書なのだが概ねストーリーの展開は幼いころから映画を観ていたので知っていたが、やはりこれを原作として読んでみると、おもしろいのであります。いったい何がおもしろいのか?
本書は、登場人物各人の書簡や日記で構成されている。ルーマニアの山奥にあるドラキュラ城に派遣されてゆくジョナサン・ハーカーの日記に始まり、彼の婚約者であるミナ・マリーの書簡などが続いてゆく。19世紀ゆえに成り立つ構成だよね。しかし、この手法は当事者の経験がそのまま反映されるのでドキュメントとしての迫真性に富み、ページを繰る手をはやめさせる。
ドラキュラ伯爵は最初のほうで現れる。しかし、それは紳士然としたまだ人間に近い存在として描写される。それでも顔相的には犯罪者のそれとして描かれているのだが。まあ、でもここに登場する伯爵はまだ人間寄りだ。彼の真実の姿はまだ読者の前には現れないのである。断崖絶壁の城の壁を伝っておりてゆく妖怪っぽい姿は見られるけれども。
作者のストーカーはドラキュラ伯爵の真の姿を描かない。彼の凶行は読者の目に晒されない。しかし、結果はまるで腐臭を放つ死体のように点々と残されてゆく。読者は、そこに勝手な妄想を描き敵の姿を強大に構築してゆく。だから、後半で唯一ドラキュラが人間を襲っている場面が描かれるのだが、その強烈な印象たるや、あーた、もう、すごいもんでしたよ!
対する善の象徴として登場するヴァン・ヘルシング教授が周りに真相を語らず(というか、信じてもらえないので語れないのだ)どうにか敵の手を阻もうとする部分は、裏をかかれてどんどん悪い方向へいってしまうのを読者もハラハラした気持ちで読みすすめることになる。何が言いたいのかというと、ストーカーの演劇人としての物語を盛り上げる演出の上手さなのだ。
とにかく、こうして新訳で刊行されたことを喜びたい。すっごく読みやすかったからね。ようやくこの古典を読むことができてほんとうれしい、
でも、ドラキュラ伯爵の最期ってこんな風だったんだ!映画で培ったイメージと全然違った!!