読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ドン・ウィンズロウ「ザ・カルテル(下)」

イメージ 1

 本書で描かれるエピソードはもちろんフィクションだ。しかし、この物語には数々のモデルがある。カルテルに襲撃され満身創痍になり人工肛門をつけて殺されるまで勇敢にも執務を遂行した女性市長や、見せしめのために顔の皮を剥がされ手足をバラバラに切断されて殺されていった人々、カルテルに高額で引き抜かれ、反発勢力を残虐な死によって制圧し、死体に『Z』の刻印をつけて恐怖を植えつけた特殊部隊あがりの男などなど、ネットで少し調べるだけで、あまりにも符合する事実が多いので驚いてしまう。なによりも、本書のはじめにメキシコで殺されたり、消えたりしたジャーナリストの名が四ページにもわたって書き綴られており、本書がその人々に捧げられていることからも、この物語がどれだけ現実に近い話なのかがわかろうというものだ。


 前回「犬の力」を読んだときもそうだったが、今回もぼくにとって忘れられない慟哭の場面があった。この感情はジョニー・デップが主演していた「ブレイブ」を観たときと同じだった。ブレイブは御存知の方もおられると思うが、スナッフ・ムービーを巡る話だ。主人公であるインディアンのラファエルが貧困に喘ぐ家族のために自らを犠牲にする。絶たれる命に対する恐怖、何も知らない家族と過ごす日々、愛する妻や子どもたちとの永遠の別れ、観ているこちらもやり場のない感情が胸を突き破って出てきそうになる。自分なら、どうする?家族のために命を捨てる勇気はあるか?圧倒的な死の痛みの恐怖に打ち克つことができるのだろうか?

 本書を読んでいて、この感情がまたぼくを揺さぶった。まして、本書ではブレイブでは描かれなかった死後の姿まで見せられるのである。どれだけの恐怖だったろう。生きながら身体を刻まれる恐怖と痛みはどれだけのものなのだろう。生きたまま目玉をえぐり出される恐怖と痛みはどれだけのものだろう。まるで、この目で見てきた事のように、この場面がぼくの頭の中に居座りつづける。


 わかっている。ぼくは細部を語って、全体を語っていない。本書で描かれるのは、麻薬戦争の全貌だ。「犬の力」で描かれた三十年にもわたる攻防のその後を描いた続編なのだ。死体の話だけで終始するわけにはいかない。しかし、この長大なクライム・サーガを読み終えて、心に残るのはある男の決意の死なのである。それが重く心にのしかかって、一向にぼくの中から消えてくれないのだ。


 勇気とは何か?それは正しい行いなのか?幸せと正直さは比例するものなのか?正しい行いをしていれば、人は幸せに生きてゆけるのだろうか?ぼくにはわからない。何が良くて、何が悪いのか、ぼくにはわからない。もちろん倫理や道徳で物事を判断することはできる。しかし、それが正解なのかどうかは、本当のところよくわからない。

 とにかく麻薬をめぐる長い長い戦争は、一応の終結をみた。沢山の人が死に、多くの裏切りがあり、いまにも切れそうな緊張の糸が常に張りめぐらされていたこの物語は、読むこと自体が忍耐と衝撃の連続だった。このやり場のない怒りと無力感はどうだ?まるで竜巻に巻き込まれたかのような圧倒的な力に手も足も出ない。この巨大な物語の前ではぼくは一粒の砂だ。この圧倒的な力、理不尽で翻弄されるしかない大きな力。ここにあるのは、やはり『犬の力』なのだ。