読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

スティーヴン・キング「ジョイランド」

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 正直、一時のキングにはときめいていなかったのだ。そう、丁度「骨の袋」が刊行されたころからだろうか?その後に出た「トム・ゴードンに恋した少女」、「アトランティスのこころ」、「ドリームキャッチャー」、「セル」までまったく読まなくなってしまった。これらの本はいまでも積んではあるが未読だ。で、ようやく文藝春秋から「リーシーの物語」が刊行されたが、これが表紙を藤田新策ではなく松尾たいこが描いていたので一気にテンションが下がって、これも未読。だが次に刊行された「悪霊の島」が王道のホラー物だったので再びキング熱に火がついた。それからのキング作品はみなさんも御存じのとおり、もう70近くになるのになんとも精力的に話題作を提供し続けてくれているわけなのだ。


 そんなキング作品が今回いきなり文庫で刊行された。本国でもこの本はペーパーバックで刊行された作品だそうで、キングとしては短めの長編でもあり文庫がしっくりくるわけなのである。


 物語は恋人に振られた主人公デヴィンが、海辺の町にある遊園地『ジョイランド』にアルバイトにくるところから始まる。ここで断っておくが、これは現在もう老人となった主人公が過去を振り返って当時のことを語るという形式をとっている。だから読者は主人公の安泰がわかった上でこの話に没入してゆくことになる。


 ハートブレイクな日々を過ごすデヴィンは、少しづつジョイランドの仕事に慣れてゆく。職場の仲間にも恵まれ、思わぬ自分の才能に驚いたりしながら忙しく働く彼はやがて幽霊屋敷で過去に殺人事件があったことを知る。そしてその被害者である女の子の幽霊が目撃されているという事実も。しかも、その当時、他にもいくつかの似通った殺人が起こっていたというではないか。デヴィンは次第にその犯人に惹きつけられてゆく。


 過去を振りかえるとき、そこには郷愁がうまれる。まして、その時代が青春時代なら、尚更だ。「スタンド・バイ・ミー」や「IT」や「11/22/63」を読んだことのある方なら御存じだろうが、キングはこの郷愁を描くことにかけては素晴らしい手腕を発揮する。彼は、青春の中にある甘さと苦みを巧みに描きわけ、胸にズシンと響く物語を残してくれる。


 はっきりいって、本書にミステリとしての満足を求めてはいけない。大抵の読者は、犯人が誰なのか勘でわかるはずだ。だからこの部分は本筋でありながらご愛嬌の部分でもある。ぼく的には、キングといえば大作のイメージであり、それからしたら本書は中編くらいの小粒ちゃんなのだが、これがなかなかいい味だしている。最近のキング作品には恋愛要素がそこそこのウェイトを占めてきていると思うのだが、本書もその例にもれず、甘酸っぱくピりりと辛いひと夏の恋が描かれる。いまの時期まさにぴったりの得難い読書体験ができるのではないだろうか。


 そして本書のあとには、キングが本腰入れて書いて、エドガー賞まで受賞しちゃった大作「ミスター・メルセデス」が控えている。なんて素敵な夏なんでございましょ、奥さま。