読書の愉楽

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エリック・フランク・ラッセル「わたしは“無”」

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 中村融山岸真編「20世紀SF② 1950年代 初めの終り」に収録されていたこのラッセルの「証言」という作品を読んで感心したのだが、昨年の創元の復刊フェアで本書が再刊されたので読んでみた。

 

 期待にたがわず、これがおもしろい。収録作は以下のとおり。



 「どこかで声が・・・・・・」

 

 「U-ターン」

 

 「忘却の椅子」

 

 「場違いな存在」

 

 「ディア・デビル」

 

 「わたしは“無”」



 印象に残った作品を二、三紹介しよう。巻頭の作品は、まだ未開部分が多く残っている惑星に不時着した一行を待ちうける悲惨な末路を描いているのだが、これが単純な探検物に終始していない。当初は数人いた仲間が、惑星の未知の脅威の前にバタバタと倒れてゆく中で、人種や育ちの格差などを乗りこえて結束してゆくさまが描かれる。こう書けばそこには希望があり、どちらかといえばポジティヴな作品のように思うが、けっしてそんなことはない。未読の方のために詳細は書けないが逆の転写とでもいおうか、ストレートではない形でそれが描かれる。ラストにはなんともいえない虚無感が漂う。しかし、彼はやはり存在するのだろうか。
 
 「ディア・デビル」は、ま、いってみればファースト・コンタクト物なのだが、最後の大戦で地球が滅亡に瀕しているところへ火星人がやってくるところから物語は幕をあける。何もない荒廃した大地。小さい生き物ぐらいしか見当たらないこの地に救うべき種族もないし、見るべきものもないと判断した火星人たちはすぐさま引き上げの準備をする。しかし一人、荒涼としたこの地に残ることを決意した火星の詩人がいたのである。彼はたった一人でこの地に残り、自分の信念のもと探索をし、人類の生き残りと接触することに成功するのだが・・・・。

 

 ステレオタイプといってしまえばそれまでだが、これがなかなか読ませる。「E.T.」に代表される異星人とのハートフルなコンタクト物に分類されるこの作品は、その展開が予想ついていたとしても静かな感動をよぶ。キリスト教の精神に基づいた人間の善良さを全面に押しだして描かれるこの素敵な物語は確かにぼくの琴線にふれた。

 

 「わたしは“無”」は、冷酷無比な独裁者が侵略した星の生き残りの少女に真実の愛を教えられる話。タイトルの意味がわかったとき、少女の悲惨な体験が心に突きささる。これは、物語だけの話ではない。現実に今でも世界のどこかで起こっている事実だ。ラッセルの筆は容赦ないが、そこには良心がある。だから読んでいて、安心できるし癒されもする。SFという体裁ながら、ここで描かれるのは人間のドラマだ。ガチガチの理論や奇妙なガジェットなどを駆使した本格的なSFも魅力的だが、ラッセルの描く人間
自体にスポットを当てたオーソドックスな話は心が落ち着くし、安心する。まだまだこの人の短編はたくさんあるようなので、できればこれからも刊行していって欲しいものだ。