読書の愉楽

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皆川博子「アルモニカ・ディアボリカ」

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 前回の「開かせていただき光栄です」の事件から5年。いまは盲目の判事ジョン・フィールディングの元で働いている解剖医ダニエル・バートンのかつての若き弟子たち。犯罪を抑止する目的の新聞を作っている彼らのもとに奇妙な屍体の身元情報を得るための広告依頼が寄せられる。道路工事用の白亜を掘り出していた採石場の坑道内で発見されたその屍体の胸には〈ベツレヘムの子よ、よみがえれ! アルモニカ・ディアボリカ〉という文字が記されていた。天使と見紛うその屍体はいったい誰なのか?判事とその仲間たちは事件の解明にのりだすのだが・・・・。

 

 あの面々が帰ってきた。前回の話はほとんど忘れていたが本書を読んでいくうちになんとなく思い出した。今回は盲目の判事ジョン・フィールディングに焦点が合わされていて、彼を中心に物語がすすめられてゆく。そして事件解明と並行してまだ司法制度が確立されていない18世紀の英国の実情が描かれる。公明正大であり、法に忠実であろうとする判事の姿勢と、それに相反する世相。まだスコットランド・ヤードのない古き英国の犯罪事情が差しはさまれる。まさに混迷の時代。だからこその今回の事件なのだがここで語られるのは現在の事件が呼びおこす、過去の事件。めぐりめぐった数々の出来事が集約されたのが美しき天使のような屍体なのだ。

 

 だが正直すこし長いなという印象を受けた。途中までは辛気臭いと感じたのだ。しかし、最後まで読めばそれもこれもここまで辿りつくための長い長い伏線だったんだなと理解した。さすがにこの伏線回収に関しては素晴らしい手並みで、まとまり過ぎの感もぬぐえなくはないがミステリとしての結構は美しかった。現在の事件が呼びおこす過去の謎というとぼくはまっさきに清張の「砂の器」を思い出すのだが、本書もあの名作と同じくして、過去の謎に内包される悲劇の要素が大いなるカタルシスをあたえてくれる。

 

 いわばそれが本書のクライマックスなのだが前回の物語を読んだ者にとっては、もうひとつ驚きの事実が明かされる。それは最初の屍体に直結するものなのだが、まさかこんなことになっていようとは夢にも思わなかった。現在の犯罪捜査と並行して挿入される過去の物語。すこしづつ明らかにされるあの人物の生い立ち。おぼろげな人間関係が次第に焦点を結び、それぞれの役割が明確になってゆくにつれ細かな意味合いが重要性を帯びてゆく。

 

 言い忘れていたが、タイトルになっている『アルモニカ・ディアボリカ』という道具立ても素晴らしいではないか。もちろんこれが物語の要にもなっているのだが、なんとも魅惑的なネーミングだ。アルモニカも本当にベンジャミン・フランクリンが考案した実在する楽器だそうだ。目のつけどころが素晴らしいよね。

 

 さて、ぼくたちはこの物語の続きを読むことができるのだろうか。皆川博子御歳84歳。いつまでも元気でいてほしいのはファンとしては当たり前なのだが、いつまでもブレのないキレッキレッの硬質で高純度な物語を紡ぎ続けていってほしいものだ。