読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ジョナサン・フランゼン「フリーダム」

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 善にあふれていたとしても、真面目で嘘が嫌いで悪を心底憎む人だったとしても、人は間違った道を選ぶことがある。常に正しい道を選ぶなんてことは到底不可能な話で、人は間違いを犯し、それを乗りこえながら日々を生きてゆくのである。人生のあらゆる場面で迫られる選択は、それを信じることだけが唯一の正解であって、そこから導き出される先にあるものが自分にとって是となるか否となるかは、この際どうでもいいことなのだ。かように人間とは愚かな生き物であり、それがゆえに愛しい生き物でもある。

 

 本書「フリーダム」は、そういった人間の持つ良心が巻きおこす過ちや問題を一つの家族を軸にミニマムかつグローバルに描く現代アメリカ文学の最前線をゆく小説だ。

 

 ここに登場する一つの家族は、世の普通の家族と同じくさまざまな問題を抱えている。だが、それは統計的に上位をいくようなありふれた問題ばかりではなく、独創的ともいえる唯一無二のものもあったりしてそれが大きな波紋を広げてゆく。

 

 大黒柱であり良き夫でもあるウォルターは高潔ともいうべき信念でもって行動する純白の精神の持ち主、妻のパティは幸せな生活に恵まれ二人の子どもも授かり、順風満帆だといえる人生だったが、下の息子のジョーイが隣人の娘にぞっこんになり、家を飛びだしてしまうに至って鬱に悩まされるようになる。このあたりからこの家族はある意味転落の道を突きすすんでゆくことになる。

 

 良かれと思ってしたことが裏目に出たり、そうするつもりがなかったにも関わらず刹那的に思っていたこととは逆の行動をとったり、間違っているとわかっているのに敢えてその道を選んだり、とかく人間とは不可解な行動をとる生き物であり、その点自分の利益のみで行動する動物たちのほうがいたってシンプルでわかりやすいのは世の理だ。

 

 そうやって物語はどんどんと意想外の方向へと進んでゆく。そこには喜びも悲しみもあり、笑いや涙もたんまりある。一冊の本を読んでいるだけなのに、本書を読めばそこにはさまざまな人の営みに起因する深い人生の余韻がこれでもかと詰めこまれているのである。

 

 タイトルにある「フリーダム」とは言わずと知れた『自由』のことだ。自由であるがゆえに巻きおこる種々の問題。自由な思考と行動がカオスを生み、それがめぐりめぐって不自由さに拍車をかける。

 

 フランゼンの筆はそういった自由をめぐる不自由さともいうべきとりとめない問題を家族というミニマムな世界をテーマに、そこからアメリカ全体を俯瞰するかのような大きな時代そのものを切りとって描いてみせて圧巻だ。

 

 9.11以後を描いた現代文学の中で本書が重要な位置を占めるのは間違いない。前回の「コレクションズ」も家族を描いた傑作だった。ぼくの好みからいえば「コレクションズ」のほうが上なのだが、本書を読んでいた二ヶ月の間は至福の読書を堪能した。寡作なフランゼンの次の新作を読めるのは、さて何年後のことだろうか。